野田新体制の立憲民主党:中道・中道右派層の支持拡大にシフト
竹中 治堅
野党第1党の立憲民主党新代表に、野田佳彦元首相が就任した。中道・中道保守層に支持を広げて党勢拡大を目指す、路線変更が明確だ。一方、この路線に合致する安全保障政策を提示できるのかなど課題も残る。 9月23日に実施された立憲民主党の代表選で野田佳彦元首相が決選投票の末、枝野幸男前代表を破り、勝利した。9日付のNHKの世論調査では次期代表に相応しい政治家を問う質問に35%が野田、14%が枝野を挙げており、世論の動向に沿う結果となった。
12年総選挙で惨敗した元首相
野田は1993年7月の総選挙で日本新党から出馬し初当選。その主張は保守的である。その後、95年12月の新進党結党に加わるが、96年10月の総選挙では落選する。2000年6月の総選挙に民主党公認で当選し、国政に復帰。09年9月に民主党が政権を獲得すると、10年6月に菅直人内閣が発足した際に財務相に起用された。11年8月の民主党代表選に勝利し、翌月首相に就任した。 野田首相は消費税を10%に段階的に引き上げる社会保障と税の一体改革に取り組む。12年8月には、自民党に「近いうちに国民に信を問うこと」を約束することで、一体改革関連法案を成立させる。野田首相は約束を守って11月に衆議院を解散するが、12月の総選挙で民主党は惨敗し、党代表も辞任する。17年9月に民進党が希望の党に合流を決めたのちは無所属で活動。20年9月に立憲民主党に入党した。 野田は首相退任後、16年9月から17年7月に民進党の幹事長を務めたほかは表舞台には立たなかった。12年総選挙の敗北へ民主党系議員の反発が強かったことが大きな理由であった。民進党幹事長就任にも一部では強い反発があった(『読売』2016年9月22日)。
左派協力で党勢伸び悩み
その野田が復帰を果たせたのには2つの大きな理由がある。最初の理由は立憲民主党の勢力が伸び悩み、行き詰まりを見せていたこと。立憲民主党は枝野代表のもと、2021年10月の総選挙の前に政権交代が起きた場合に共産党と「限定的な閣外協力」で合意。(『日本経済新聞』2021年10月1日)。両党は、多くの選挙区で選挙協力を実施した。しかし、この方針は与党から厳しく批判され、総選挙では議席を減らした。枝野は代表を辞任し、泉健太が後継の代表となった。 左派勢力との協力では党勢を拡大できないことが明らかになり、泉は共産党との関係見直しを図る。ただ、完全に関係を断ち切ることはできなかった。泉が選んだのは22年7月の参議院議員選挙を控え、5月に閣外協力に関する合意を「棚上げ」することで共産党と「確認」する(『読売新聞』オンライン、2022年5月10日)ことであった。 一方、他の野党との協力を深めることもできず、立憲民主党は参院選で議席を減らした。今年7月の東京都知事選挙では、左派勢力との協力が実を結ばないことがあらためて示された。立憲民主党の蓮舫参院議員が離党し出馬したが、同党と共産党の積極支援を受けた蓮舫は3位にとどまり惨敗。中道・中道右派層からの支持拡大の必要性が明確になった。