「困難を抱えながらも力強く生きる患者の存在を知って」と話す加藤タケ子さん=さつま町の盈進小学校(南日本新聞社)
12歳で小学1年生、中学卒業は21歳…生まれながらに困難抱えても前向きに生きた「私」たち、水俣病研究の第一人者がつないだ児童との縁 さつま町
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