石牟礼道子旧宅に古書店、「よそ者」夫婦がつなぐ希望…水俣病巡る複雑な空気「重さ少し引き受けている」
水俣病の悲劇を描いた『苦海浄土』で知られる作家、石牟礼道子(1927~2018年)の文学にひかれた古書店主の夫婦が、熊本県水俣市にある石牟礼の旧宅に、京都から店を移転させて1年になる。人々の分断や痛み、石牟礼文学に対する複雑な感情が交錯する地で、希望をつなぐ場としてあり続けようとしている。(後田ひろえ) 【写真】水俣病の犠牲者悼む「火のまつり」、里・海・山・患者遺族の「四つの祈りの火」集めて1本に
1986年築住宅の書斎使う
水俣川の河口近くに、京都府出身の奥田直美さん(45)と順平さん(44)夫婦が経営する古書店「カライモブックス」はある。1986年築の木造平屋住宅の書斎をそのまま使い、室内には拡大鏡やペン立てといった石牟礼の愛用品も残る。石牟礼作品や水俣病関連の書籍のほか、人文書を中心に並べている。
直美さんは高校生の頃、天草の山中での老女との出会いをつづった石牟礼のエッセー「言葉の秘境から」を読み、近代以降に失われた世界への思慕や疼きにも似た感性にひかれた。石牟礼の描く豊かな世界は、人生のもの足りなさを埋める「土に根ざした言葉」で、「そのような言葉の世界が存在することは希望だった」という。20歳代前半で出会った順平さんにも本を薦め、一緒に水俣や天草を旅した。
「カライモの天ぷら屋さんを開いては」
そんな2人は2009年、作品によく出てくるカライモ(サツマイモ)の名を冠した、カライモブックスを京都市で開いた。
石牟礼には11年に一度だけ会った。福島第一原子力発電所の事故後、生後間もない長女を育てていた直美さんは大きな不安や動揺に襲われた。手紙のやりとりの後、訪問した一家に、石牟礼は「カライモの天ぷら屋さんを開いては」と突然提案した。
精神的な支えの言葉を期待していた2人は戸惑ったが「どう生き延びていくのか。日々の生活に根ざして人々を支えてきた石牟礼さんならではの言葉だった」(直美さん)と、温かな記憶として残る。石牟礼も、原発事故後の福島を撮影した写真家との対談集『なみだふるはな』(河出書房新社)で、原発事故と水俣病を重ねて<人間社会というのはこのように運命づけられていたような気もします。終わりに向かってみんなにじり寄っている〉と語っている。原発事故に端を発する直美さんの苦しみにも、心を寄せていただろう。