12歳で小学1年生、中学卒業は21歳…生まれながらに困難抱えても前向きに生きた「私」たち、水俣病研究の第一人者がつないだ児童との縁 さつま町
母親の胎内でメチル水銀の影響を受けた「胎児性水俣病患者」らによる講話が10月30日、鹿児島県さつま町の盈進小学校であった。同町出身で水俣病研究の第一人者・原田正純医師(享年77歳)の半生を描いた漫画をきっかけに同校と佐志小が初めて企画。児童約90人は患者と交流を深め、困難を抱えた時に前向きに生きる大切さを学んだ。 【写真】〈関連〉さつま町の位置を地図で確認する
講師は全国で水俣病の語り部活動を展開する一般社団法人「きぼう・未来・水俣」(熊本県水俣市)の長井勇さん(67)=鹿児島県出水市出身=ら4人。長井さんは水俣病で就学免除となり、水俣市の病院に分校ができるまで学校に通えなかった。「12歳でやっと小学1年生になり、21歳で中学を卒業した。学校に行けたことが人生で一番の思い出」と涙を流した。 15年前から症状が悪化し歩行困難になった松永幸一郎さん(61)は「仲間や趣味の将棋が心の支えになった。今では大会で何度も優勝するほどの腕前です」と笑顔をみせた。同法人の加藤タケ子代表理事(74)は「水俣病患者ではなく名前を覚えてほしい。心の距離が縮まるコツ」と訴えた。 講話後、患者の周りに児童が自然と集まり交流を楽しんだ。佐志小5年池田遥さんは「水俣病は暗いイメージだったが、ユニークで魅力的な人たちだった。もっと仲良くなりたい」。盈進小5年森園華音さんは「つらいことがあっても、人生を楽しむことを諦めない姿はかっこいい」と話した。
水俣病救済に尽くした原田医師の研究が胎児性患者の発見につながった。講話は「患者の生の声を聞き、公害の及ぼす影響と人権について考える機会をつくりたい」と学校側が同法人に依頼した。
南日本新聞 | 鹿児島
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