『虎に翼』が示した正しいだけでないヒロイン像、「透明化されてきた」人たちへの視点
キレもする正しいだけじゃないヒロイン像
(2)穂高先生の退任記念祝賀会で寅子がブチギレた事件(第14週) 穂高の労をねぎらうべき記念祝賀会の席で寅子が怒りをぶつけたことに、SNSでは賛否両論。寅子があそこまで“わきまえない”態度を見せたことに対して、人による評価や感想が真逆だったのが印象的。ある種、視聴者をふるいにかけるような展開をあえて選んだ挑戦的な脚本に唸らされました。 かつて、寅子の意思を無視して「雨垂れ石を穿つ、でいいじゃないか」と決めてかかった穂高にずっとわだかまりを抱えていたからこそ、祝賀会のスピーチで「自分も雨垂れの一滴にすぎなかった」と自虐/自嘲する穂高を、寅子は許せなかったのではないでしょうか。せめて穂高だけは、胸を張って「雨垂れの一滴になれたことに誇りを持つ」と言ってほしかったのだと思います。 (3)梅子が、息子たちの前で高笑いして「降参」を宣言し、相続も、大庭家の嫁としての立場も、息子たちの母としての務めも、一切を放棄して「ごきげんよう!」と去っていく場面(第13週) 自分勝手な息子たちの教育の失敗と、その背後にある根強い家父長制への敗北を思い知らされた梅子の狂気すら滲む高笑いは、演じた平岩紙の真骨頂のような芝居。最後の「ごきげんよう!」は、家族という呪縛を断ち切り、嫁でも妻でも母でもない自分の人生を生きることにした、一人の女性の“勝ちどき”のようにも聞こえて痛快でした。 【福田フクスケさんが語る『虎に翼』の魅力】 一つには、寅子が決して正しいだけのヒロインではなかったこと。寅子は、女性として理不尽な扱いを受けてきた「弱者性」と、家族の愛情に恵まれ経済的にも豊かに育って最初の女性法曹の地位に上り詰めた「強者性」とをあわせ持った存在。自分が手にしていないパワーの権力勾配や特権には敏感だが、自分が手に入れたパワーのそれには鈍感で無頓着になってしまう、その中で時に間違えたり驕ったりする人間であることを逃げずに描いたのが素晴らしいと思いました。 二つ目は、特別ではない、ありふれた市井の女性たちの一人ひとりが「雨垂れの一滴」となってこの社会を作り上げてきたのだ、ということを描いたこと。特に最終回における「はて?いつだって私のような女はごまんといますよ。ただ時代がそれを許さず、特別にしただけです」という寅子のセリフは象徴的。特別な成果や功績を成し遂げた人ばかりが歴史を作り上げたのではない、何者かになれなくても誰もがかけがえのない存在なのだ、というメッセージが繰り返し提示されていました。