【実録 竜戦士たちの10・8】(20)伊藤球団代表、「明日からは『前中日の落合』ということに」とぽつり…「正直言って寂しい気もする」
◇長期連載【第1章 FA元年、激動のオフ】 1993年の秋。12球団で最も遅くまでユニホームを着続けていたのは中日の若手たちだった。11月1日から始まった沖縄での秋季キャンプをようやく打ち上げたのは11月25日のことだ。 「目的意識を持って、それに向かってやっていた。成果は簡単には表れないが、どの選手も楽しみだなというのが出てきたね」。満足そうにキャンプを総括した高木守道監督だったが、ひと際ハッスルぶりが目立っていたのが大豊泰昭だ。 沖縄には外野用グラブとは別にファーストミットを持参。最終クールでは本格的に一塁守備練習を始め、「小学4年から大学までずっと一塁をやってきた。このまま続けていけば、ゴールデン・グラブ賞だって取れるかも」とおどけてみせた。 母国・台湾の英雄、王貞治に憧れて野球を始めた。前年秋から王の代名詞である「一本足打法」に取り組み、今回は王と同じ一塁守備への挑戦。首脳陣が落合博満のFA流出を既定路線と捉えればこその「GO指令」だった。守備練習はあまり好きではなかった男が連日、コーチをつかまえ、一塁の守備練習に取り組んでいる。これには高木も「まるで水を得た魚みたいだな」とニンマリだった。 そして、11月27日の土曜日。名古屋市の中日球団事務所は週末ということもあって、静かな時間が流れていた。夕方5時頃。球団代表の伊藤潤夫がプレスルームに顔を出し、番記者たちの質問に答えるのが日課だった。「落合さんからの連絡は?」と尋ねる記者に、伊藤は「ないねぇ」。この日がFA宣言選手と旧在籍球団が交渉することができる最終日だ。 「厳密には午前0時までとなるが、常識的には球団事務所が閉まる午後5時までだろうな。連絡がないということは、この金額(2億7000万円)では契約する気がないということだろう」 スケジュール上は、11月28日から年明けの1月15日までが他球団との交渉期間。その後、再び旧在籍球団を含めた全球団との交渉が可能になるが「まあ、それはないでしょう。明日からは”前中日の落合”ということになるな…」と伊藤がポツリと言葉を漏らした。 86年12月末のトレードで中日に入団して以降、91年の年俸調停など誰よりも落合とひざを突き合わせ話し合ってきたのがこの伊藤だった。「個人的には仲良くやってきたし立場は違うが、腹を割ってやってきた。正直言って寂しい気もする」。これも伊藤の偽らざる本音だったに違いない。 =敬称略
中日スポーツ