パンデミックは必ずまた起こる――尾身茂が振り返る日本のコロナ対策、成功と失敗
慶應義塾大学に進むも、ろくに通わず書店に入り浸る日々――。ある時、『わが歩みし精神医学の道』という一冊の本に出会って開眼し、医師の道を志す。父は大学中退に大反対したが、寛大な母の仲裁で医学部を受験。卒業後に離島などでの医療に一定期間従事すれば学費が無料、また1期生ということが魅力で自治医科大学に入った。 30代で伊豆諸島へ。島の数少ない医師として地域に根を張り、公衆衛生に関心を抱く。やがて友人のすすめで世界保健機関(WHO)に就職。医師でありつつ、外交官に近い仕事にたどり着いた。WHOではアジア西太平洋地域におけるポリオ(小児まひ)根絶やSARS制圧を実現するなど、科学的知見をもとに政治的交渉を成功させる。WHOでのキャリアやその後の日本における実績から、コロナ対策を担うのは自然な流れだった。
専門家として一線を越えざるを得なかった
2019年の暮れ、中国・武漢市で原因不明のウイルス性肺炎が蔓延しているとの情報が尾身の耳にも入った。翌年2月3日には、集団感染を起こしたクルーズ船が横浜港に到着する。 「この時期、私たち専門家は三つのことを考えていました。一つは、このウイルスは無症状でも他の人に感染させること。二つ目は、すでに国内での感染が進んでいる可能性が高いこと。三つ目は長期戦になるということ。これを早く政府から国民に伝えてほしいと思いました。しかし、政府はクルーズ船の対応に奔走していて忙しかった」 乗員・乗客を船内隔離するのか、下船させるのか。緊迫した事態が国内外のメディアで連日報道された。一方で、専門家は、このままでは国内の感染が大変なことになるという危機感を募らせた。 「専門家が知っていることを国民に伝えないのは、責任放棄ですよね。でも国からは求められていない。政府からは煙たがられるかもしれないけれど、言わないと歴史の審判に耐えられないのではないかと」
2月24日、「専門家は政府から聞かれた課題に答える」という暗黙の境界線を越え、国民に向けて「今後1~2週間が瀬戸際」という独自のリスクメッセージを出す。この見解を出すことについて、専門家会議のメンバー全員が同意した。 「無症状でも感染を起こすとわれわれが公表することに、当初政府はちょっと後ろ向きでした。しかしあの時、パニックを起こすと困るから言わなかったとなれば、おそらく国民は政府や専門家に不信感を抱くでしょう。事実がわかれば対処ができる。日本の国民は隠されるよりも真実を知りたいという気持ちが強いと思いました」 この日を境に専門家はコロナ対策の前面に出ることになり、葛藤の日々が始まる。