『数字であそぼ。』絹田村子著 評者:三木那由他【このマンガもすごい!】
評者:三木那由他(大阪大学大学院講師)
高校生のころ、「好きな科目は?」と訊かれたら「数学と英語と古文・漢文」と答えていた。数学は楽しくて、特に数列の話と言ったら、規則に従って数たちが並んでいく様子が可愛らしくて、教科書の範囲を超えていろんな数列について勉強したりしていた。 文学部に入学し、そのまま大学院に行き、そして文学部で授業をしている現在、数学に触れる機会はほとんどなく、しかも大学レベルの数学で理解できる領域は非常に限られている。それでも数学に対する漠然とした憧れは残っていて、大きめの書店に行くとついつい数学書の棚を眺めたりしてしまう。数学者たちをわけもなく「なんとなくかっこいいひとたち」と感じる。 そんな数学への憧れを胸に秘めたひとたちにおすすめの漫画が絹田村子の『数字であそぼ。』である。本作は、吉田大学という京都の大学(あからさまに京都大学がモデルである)を舞台に、数学に心惹かれた若者たちの日々を描くコメディだ。 横辺建己(よこべたてき)は瞬間記憶能力を持ち、成績は常に優秀、地元では「神童」と呼ばれ、入試にも余裕で合格し、ノーベル賞を取れるような物理学者を夢見て吉田大学へやってきた。だが意気揚々と微分積分学の授業に出席したところ、担当教員がいきなり自然数、整数、有理数、実数といった数の定義を解説し始め、横辺はその内容が全く理解できず、絶望する。そしてその挫折から立ち直れないまま、授業に一切出席することなく2年が経過してしまう。そんな横辺が一念発起し、友人を得ながら数学に向き合っていく物語が本作の中核となっている。 『数字であそぼ。』は、何よりも数学の楽しさにあふれている漫画だ。スロットにハマっている北方創介(きたかたそうすけ)、どこか腹黒い猫田賢(ねこたけん)、数学の天才だが生活力皆無の夏目(なつめ)まふゆ、女友達やボーイフレンドを求めるも数学好きが仇(あだ)になりがちな平坂世見子(ひらさかよみこ)などなど、かなり個性の強い人々が登場し、数学の勉強をしているかと思えば、合コンに参加してみたり、エキストラとして映画に出演してみたりもする。けれど、そのエピソードのほとんどが数学と結びついていて、抽象的な数学の議論とコミカルな日常が地続きなのが面白い。 このように言うと、「登場人物たちのコミカルな日常を通じて数学を勉強できる漫画」と聞こえるかもしれないが、本作はそういったタイプでもない。むしろ、数学とともに暮らす人々の日常を読者が覗き見しているという印象が強く、あくまで「愉快な数学者たちのやり取りを楽しむ漫画」だ。だからこそ、数学や数学者になんとなく憧れる私のような人間の心を直撃する。 とはいえ、『数字であそぼ。』は決して数学に興味がなければ楽しめないような漫画ではない。本作を牽引するのは何よりもキャラクターの個性と魅力だ。数学にそんなに興味がなくとも、数学に夢中になる彼らの面白さには惹きつけられるに違いない。さらに本作を彩る膨大な京都ネタも見逃せない。一通りでない楽しみ方を見出せる、非常に豊かなコメディである。 (『中央公論』2024年8月号より) ◆三木那由他 大阪大学大学院講師