里中満智子「デビュー後は、青池保子さん・神奈幸子さんたち同年代の漫画家と助け合った。同時期・同じ雑誌にいた私たちは運命共同体」
◆少女マンガ誌を支える戦友たち デビューしてからしばらくは地元でマンガを描いて、連載が忙しくなって上京する人が多かったと思います。だから同年代の人が高校や大学を卒業して東京に来るまで、だいぶタイムラグがあったのです。 1964年のデビューから3年ほど経って、同世代のマンガ家が上京してくると、出版社に行った際、同じように打ち合わせに来た彼女たちと顔を合わせることが増えました。神奈幸子さん、杉本啓子さん、北条なみえさん、大岡まち子さん、飛鳥幸子さん、辻村弘子さんなど、次々とデビューしました。 講談社新人漫画賞を競った青池保子さんとも「やっと会えたね~」と、手を取り合って喜んだものです。 青池さんは、雑誌の投稿ページの常連だったのです。ご自身で描いたカットや似顔絵がよく載っていました。私は毎月採用はされないのですが、他にも何人か常連がいて見知った名前がありました。青池さんは講談社で会う前に一度デビューなさっていたんですね。 水野英子先生と郷里が同じ下関で、先生のご紹介で「りぼん」で読み切りを一作お描きになっていました。それで「すごいわ、この人やっぱりうまい」と思っていたのです。 講談社の新人漫画賞の最終選考で名前を見つけたときは「もう絶対にこの人だな」と思っていました。だから私が入選したと聞いて、「青池さんじゃないんですか?」と聞いたくらい。だからこの入選に恥じないように頑張ろうと思いました。
◆運命共同体 同年代のマンガ家と編集者で一緒になって、「近くだからうちにおいでよ」なんて言って誘ったり、帰りに池袋まで一緒に出て、喫茶店で延々と喋ったりもしました。 そして「編集者にこう言われたけれど、どうしたらいいかしら」などと情報交換したものです。こうした、同じ立場の仲間とのお喋りに、どれほど励まされ、助けられたことか。 マンガを描くのはとにかく手間がかかるうえ、連載を複数持つのはなかなか大変なのです。だから夜中に眠くなったらマンガ家友だちに電話をして、喋りながら描いていました。長電話は年々多くなりましたね。相手も描きながら、あれこれ喋るのです。 だんだん仕事が安定してくると、今度はお互いに、同じ雑誌でネタがダブらないように、どういうことを描くか話し合ったりもしました。どんなものを描くか聞いて、かぶるなと思ったらやめて他のアイデアにしたり。同じ時期に同じ雑誌で描いているマンガ家は運命共同体なのです。 その雑誌が売れないと、みんなが困ってしまう。だから誰かが大ヒットを出してくれると、「うわ、よかった! しばらくこの雑誌持つな」と思うのです。 普段は、編集部から「頼むからヒットさせてよ」なんて怒られるのですが、何かの作品がヒットしていると、編集部もゆとりがあるから「好きな作品描いていいよ」となるのです。 雑誌ごとに編集方針はあるのだと思いますが、マンガ雑誌だとマンガの割合が大きいですから、編集部の決めたカラーよりも、個々の作品それぞれが面白いかどうかにかかってくるのです。 ※本稿は、『漫画を描くー凛としたヒロインは美しい』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
里中満智子
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