里中満智子「デビュー後は、青池保子さん・神奈幸子さんたち同年代の漫画家と助け合った。同時期・同じ雑誌にいた私たちは運命共同体」
令和5年度の文化功労者に漫画家の里中満智子さんが選ばれました。高校在学時の1964年に『ピアの肖像』で第1回講談社新人漫画賞を受賞した後もなお、数々のヒット作を生み出してきた里中さんが歩んだ道のりとは。マンガ家になることを決意した里中さんは、大阪から上京。東京で先輩方に直接会えることが活動の刺激になったとのことで―― 【書影】幼少期から現代、そして未来への展望までを綴る。里中満智子『漫画を描くー凛としたヒロインは美しい』 * * * * * * * ◆大先輩たちが編集部にいる! 上京して編集部にちょくちょく顔を出すようになってからは、編集部にいると、先輩たちと会えるようになったのが嬉しかったものです。 大先輩の前でドキドキしていましたが、みなさん本当に優しかったのです。 先輩方と直接お話がしたくて、打ち合わせがもうじき終わるかなという頃を見計らって、廊下でモジモジ待っていました。 偶然を装って「ああ、どうも」「よろしくお願いします」なんて挨拶すると、お茶やご飯に誘ってくださるのです。 みんな描くものが異なるので「大変だけど頑張ってね」なんて応援してくださる。
◆先輩方が活き活きしている 私が人生で初めて焼肉を食べたのは、花村えい子先生、谷ゆき子先生と一緒でした。「今からご飯を食べるけど、一緒に行く?」と誘ってくださって。ドキドキしながら後をついて行きました。 邪魔だったんじゃないかしらと、今となっては思うのですが、食べながらいろいろとアドバイスをくださいました。 「あなたの場合、フキダシの形をもうちょっとこうしたほうがいい」なんて、実際に描きながら教えてくれるのです。「こうしたほうがスッキリするんじゃないかしら」「斜線をもうちょっと真面目に引いて」なんてもう、本当にいろいろ。 その上、支払いのときには「後輩に払わせるもんじゃないから」と奢ってくださるのです。「うわ! 私も早くこう言えるようになりたい」と勇気づけられました。 先輩方が活き活きしていると、すごくホッとしました。みなさん本当に身ぎれいにされていたので「ああ、マンガ家って苦しくて汚い職業じゃないんだ、よかった」って。 水野英子先生にもお会いしました。ちょうど「マーガレット」で『白いトロイカ』を連載されている頃でした。トキワ荘を出られて住んでいたご自宅にお邪魔して、原稿を脇から覗かせてもらったのです。 そこにアシスタントとして西谷祥子先生がいらしていました。「少女クラブ」で作品を読んでいましたから、驚きました。
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