息子の出世を支えた子煩悩な赤染衛門
7月14日(日)放送の『光る君へ』第27回「宿縁の命」では、まひろ(のちの紫式部/むらさきしきぶ/吉高由里子)と藤原道長(ふじわらのみちなが/柄本佑)の再会が描かれた。この再会は思いがけない結果に発展する。一方、朝廷では道長の娘・藤原彰子(あきこ/しょうし/見上愛)入内に向けた動きが活発になっていた。 ■皇子誕生を機に朝廷に緊張感が漲る 石山寺へ参詣に訪れたまひろは、藤原道長と偶然の再会を果たす。平静を装いながら言葉を交わすふたりだったが、口には出せない想いが募る。ふたりは言葉を呑み込みながら、熱く抱擁するのだった。 その頃、藤原定子(さだこ/ていし/高畑充希)の出産を契機に宮中の力関係が崩れることを恐れた道長は、妻・源倫子(みなもとのともこ/りんし/黒木華)とともに娘・藤原彰子の教育に力を入れていた。 これは、入内する一条天皇(塩野瑛久)に気に入られるためだが、彰子は感情を表に出すことを苦手としていた。このままでは気に入られるどころか、子を授かることも危ぶまれる。倫子は焦りを見せ始め、彰子の教育係として任命された赤染衛門(あかぞめえもん/凰稀かなめ)も、倫子の要求を測りかねており、手を焼いていた。 彰子の入内を少しでも盛り上げようと道長が計画を進めるなか、まひろの妊娠が発覚。どうやら夫・藤原宣孝(のぶたか/佐々木蔵之介)の子ではないらしい。隠し立てのできないまひろは別れを切り出すが、誰の子であっても、ともに育てたいと宣孝は言う。宣孝はまひろの相手が誰なのか、うすうす分かっていた。 やがて定子は皇子を出産。それを機に、一条天皇はますます定子を第一に考えるようになっていく。母・藤原詮子(あきこ/せんし/吉田羊)には自分は操り人形だったと言い放ち、入内した彰子には心を許そうとする素振りさえ見せない。 その年の暮れ、まひろは元気な女の子を出産した。生まれた我が子を、まひろはさまざまな思いが込もった表情で見つめるのだった。 ■温厚篤実な性格をうかがわせる逸話が残る 赤染衛門は、右衛門尉・赤染時用の娘として生まれたといわれている。生年は分かっていない。母は、もともと平兼盛(たいらのかねもり)の妻だったが、時用と再婚してすぐに衛門が生まれたため、その認知をめぐり、時用と兼盛との間で争いがあったという(『袋草紙』)。赤染衛門の名は、衛門府に所属する赤染の娘というのが由来のようだ。 衛門は十代のうちに、参議・源雅信(まさのぶ)の家に仕えたという。この時に、雅信の娘・源倫子付きの女房となった。のちに、倫子の娘である藤原彰子にも仕えている。 970(正暦元)年頃に大江匡衡(おおえのまさひら)と結婚。匡衡は「見苦しかりける」大男だったという(『今昔物語集』)。その一方で風雅を理解し、漢詩や和歌をたしなみ、文章博士も務める学者という顔も持ち合わせていた。