大切な葬式の日に息子が初オネショ…シングルファザー住職の「二足のわらじ」奮闘記
型破りな僧侶が、いろいろあって離婚。世にも珍しい「シングルファザー住職」が誕生――。しかし、長男のオネショの処理に困惑、休日もプライベートもない孤独なひとり親……と、悪戦苦闘の日々。それでもお寺と家族の生活を守るため、仏事と家事と育児の「三役」に奔走する。※本稿は、池口龍法『住職はシングルファザー』(新潮新書)より一部抜粋・編集したものです。 【この記事の画像を見る】 ● 「お坊さんらしさ」 の対極を生きる 大人になってからの私の生き様は、申し訳ないほどにまったくお坊さんらしくない。 お寺の跡取りとして手塩にかけて育てられた幼少期から、志望通りの有名大学・大学院に進学したぐらいまでは、内面の葛藤はいろいろあったものの、私は優等生らしい生き方をしていた。関西風にいえば「ええところの子」だった。父親はよく「龍法は挫折を経験してないのがよくないなぁ」と嘆いていた。 しかし、その後はもう豹変したかのように、道なき道を進んでいる。 24歳、大学院中退。 28歳、両親に逆らって結婚。 29歳、大きな教団組織の指針とそりが合わずフリーペーパー片手に街へ。 37歳、離婚してシングルファザーに。 つくづく、我が身のことながらひどい。「挫折を知らない」という父親の嘆きは間違いなく吹き飛ばしただろうが、さらに大きなため息が漏れ聞こえてきそうである。 お寺に生まれ育ち、大学・大学院では仏教学を学び、総本山知恩院に就職し――と、同じくお寺に生まれたお坊さんと比べても珍しいくらい、仏教の空気を存分に吸ってきたにもかかわらず、お坊さんらしい人生の対極を生きている。 幸いにして、多様な生き方が容認される現代だから許されているだけで、私の人生の岐路となったどの決断をとっても、時代が違えば家族親族や世間から大ブーイングを浴び、陰でコソコソ生きる羽目になった可能性をはらんでいる。
実際、私はそういう立場に陥る覚悟を抱きながら、ためらうことなく自分の人生に決断をくだしてきた。唯一お坊さんらしいところは、どんな時にも折れない強靭なメンタルを持っていることだろう。 ● 強靭なメンタルを 育てた修行生活 なぜ私の心は折れないのか――。 やはり仏教のある生活は、メンタルを強く育ててくれるのか。 いくつか思い当たる節はある。 学生時代から俗世と離れたところで修行生活を何度も送ってきたから、かけがえないと思っていたものでも、いざ断捨離してしまうと楽に生きられることを知っている。 たとえば、今や私たちの生活にスマートフォンは欠かせないと思われているが、修行にはやはり持ち込めない。道場に入って早々は、いつもなら法衣のたもとに入れているスマートフォンを探ってSNS通知などを確認したい気持ちにしょっちゅう襲われるが、2、3日もすればスマートフォンを意識しなくなる。そこから先にあるのは、スマートフォンに振り回されない、静けさに包まれた穏やかな生活である。 また、お寺で暮らしていると、これから大学受験というシーズンや、家族が命に関わる手術を迎える時には、先祖に手を合わせにお墓参りに来る人がいる。申し訳なさそうに「お墓参りはお願いごとのためにするものじゃないんですけどね」と釈明されるから、間違ったお墓参りだと知りつつ、それでも拝まずにはいられないのだろう。その気持ちは私もすごく共感する。