「いつかインラインスピードスケートも五輪種目に」「遠征費100万円は自費」親子で日本記録を持つスケート界の姫・高萩嬉らが語る父と五輪への思い
多くのドラマを生んだパリ五輪が、8月11日に幕を閉じた。早くも2028年ロサンゼルス大会へと関心が移るなか、将来の五輪種目の採用を期待されているインラインスピードスケートに情熱を傾ける24歳の高萩嬉ら(たかはぎ・うらら)選手に話を聞いた。 【画像】新卒2年目の社会人でもある高萩さんは競技中と普段のギャップも魅力
元選手の父による英才教育「歩き始めるのと同時にスケートも」
同競技は縦一列にウィール(車輪)のついた専用シューズで走り、タイムやポイントを競うスポーツ。最高時速はなんと60キロ近くにものぼり、200メートルでの最速を競う「トラック」、一般公道も使用され、ポイント制の種目もある「ロードサーキット」、42.195キロを走る「マラソン」など、さまざまな種目が存在している。 一方、競技人口の少なさなどから国内にプロリーグは存在せず、娯楽やアクティビティとしての知名度に比べ、スポーツ競技としてはまだ発展途上にあるといってもいい。五輪種目への採用も、これまで幾度となく逃してきた。 これまで競技の五輪種目化の夢に挑んできたのが、全日本選手権11連覇という偉業を成し遂げたほか、数々の日本記録を保持する高萩の父でインラインスケート界のレジェンド・高萩昌利氏だ。 彼は五輪選手になることを夢見ながら、長女である高萩が生まれた2000年に現役を引退し、以降は東京都ローラースポーツ連盟理事長やクラブチーム・ブリザードクラブの監督を務めるなど指導者として活動している。 そして現在、悲願の五輪出場という夢は娘に引き継がれている。父でありコーチである昌利氏から熱血指導を受けてきた彼女は、学生時代に数々の記録を残し、現在もインラインスピードスケートの歴史上唯一の社会人選手として活躍している。 ──幼い頃からインラインスピードスケート選手として活躍されている高萩選手ですが、スケートを始めたきっかけは? 高萩嬉ら(以下、同) 父がもともと、オリンピックにすごく憧れがあって、私と妹にスケートを始めさせたんです。2歳の頃、歩き始めるのと同時にスケートも始めて、キッズ用のスケートシューズも合わないほど幼かったので、父が普通の靴にローラーを4つ付けた手作りのものを履いていました。家でも練習でも一緒ですし、小さい頃はすごく厳しくて、泣きながらやっていましたね。
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