焼け落ちた首里城の「これから」を考える 焼失から1か月、再建へ
この日は、林賢さんがプロデュースする若手女性グループ「ティンクティンク」のライブが行われていた。本土から来た観光客が、民謡、オリジナル沖縄ポップ、琉球舞踊を楽しんでいた。林賢さんは、ステージ上のスクリーンに、方言の歌詞を、英語、ハングル、北京語の字幕で解説する映像を流していた。
首里城には沖縄の「陰」と「陽」がある
琉球王国時代から、1992年の復元までの首里城を取り巻く環境の変化を描いた「首里城ものがたり」という漫画がある。作者の新里堅進さんは、沖縄戦をテーマにした漫画も数多く手がけてきた。新里さんは言う。
「首里城の下に(沖縄戦時代の日本軍の総司令部であった)第32軍司令部壕がある。(これまでは入ることができないが)再建した際にはそれも見られるようにしたらどうか。沖縄を象徴する『陰』と『陽』だ」 沖縄県への入域観光客数は、1992年の正殿復元の年は301万人だったが、昨年は1000万人を超えた。観光客を呼び込むのに首里城が大きな役割を果たしてきたのは間違いないだろう。再建の動きの横で、収蔵品のデジタルアーカイブ化、そして林賢さんの取り組みのようなソフトパワーで沖縄の文化全体の魅力を高めていく。そんな流れが生まれていけばと、火災からひと月を経たいま思う。 (立教大学大学院教授、デジタルアーカイブ学会理事・宮本聖二)