焼け落ちた首里城の「これから」を考える 焼失から1か月、再建へ
再建、そして収蔵品のデジタルアーカイブ化
27年前に復元された首里城は焼けてしまった。今度は再建である。実際に見たことのない城を復元するのではない。沖縄の人々は、今度は自分たちの心のうちの首里城をよみがえらせることに気持ちを合わせて取り組むことだろう。 正殿など建物の再建については国内で多額の寄付金が寄せられるなどその機運も高まっており、今後進んでいくことだろう。設計などに関しては1992年の復元時の資料は整理されて保管されており、前回のような困難は少ないであろう。ただ、大量の木材、赤瓦、そして職人の確保は大きな課題で、再建完了までどのくらいの時間がかかるかはまだ不明だ。 一方、建造物とともに失われた絵画や漆器、染織、古文書などの収蔵品はおよそ400点ほどとみられている。そこには、「雪中花鳥図」、「江戸上り図」(江戸幕府へ派遣された琉球王府の使節を描いたもの)、第18代琉球国王「尚育王」の書など貴重な絵画や書が含まれる。
当然のことだが焼失した収蔵品は元には戻らない。そこで、首里城公園を管理し、調査・研究を行っている「沖縄美ら島財団」に話を聞いてみた。財団では、焼失したものも含めて収蔵品については画像のデジタルデータを保管しており、配信・公開することの検討が始まっているとのことであった。 画像に限らず、各収蔵品の詳細な記述をデジタルアーカイブに整備して広く公開されることが望まれる。誰もが見ることができるようにすることが首里城の再建を後押しすることにもなろう。
「音楽が首里城に代わるソフトパワーに」
火災から数日後に、沖縄でミュージシャンの照屋林賢(てるや・りんけん)さんと会った。彼は、本島中部の北谷(ちゃたん)町で沖縄音楽(民謡からオキナワンポップスまで)を楽しめるライブのホールを運営している。文化としての沖縄音楽を県内外の人に楽しんでもらいたいからだ。 今回の火災について話をふると、「首里城(正殿など)が焼失したのは沖縄にとって大きな痛手だね。だとしたら、僕たちが、首里城に代わる魅力あるソフトパワーにならなきゃ」と話した。