「近頃は法学部でなくても東大って言うんですか」知られざる神童政治家の”学歴厨”列伝…東大に3度落ちた岸田、勉強せず東大合格の鳩山邦夫
昭和きっての学歴厨・宮澤喜一
それから、昭和を代表する学歴厨とも言われる宮澤喜一さんにも触れないわけにはいきません。宮澤喜一氏は東京帝大法学部から大蔵省に入って内閣総理大臣にまで上り詰め、「日本一出世した学歴厨」とも呼ばれる人物です。高い英語力にも定評があり、サンフランシスコ講和会議には全権随員として参加しています。 ただ、政界きっての学歴厨であったことで知られており、早稲田大学卒の竹下登元総理に「貴方の時代の早稲田の商学部は無試験だったんですってね?」と煽ったというエピソードや、東京農業大学出身の金丸信に対して、「偉い方ですよ。大学を出ているんですね。知っていました?」「そいつはお出来になりますなあ」と皮肉ったという話も語り継がれています。 東大法学部至上主義者であったことでも知られ、経済学部などの出身者には「ほう、近頃は法学部でなくても東大って言うんですか」と言い放ったというなんとも強烈なエピソードも残っていたりします。 ただ、宮澤氏のルーツは広島の農家であり、華やかな名門家庭の出身者が集まる政界の中でコンプレックスを感じていたという話もあります。学歴煽りはそのコンプレックスの裏返しだったのかもしれません。
鳩山邦夫にマウントをとった片山さつき
昭和期の女性の受験天才も紹介したいと思います。1970年頃、さいたま市立高砂小学校では、同校始まって以来の天才少女が現れたと話題になっていました。こちらの天才少女とはみなさんご存じ、今では政治家やコメンテーターとしてご活躍の片山さつきさんであります。彼女は当時から「神童」として近所ではちょっとした有名人だったようです。 彼女の華麗なる経歴を振り返ってみましょう。片山氏は東京帝国大学の数学科を出た数学者・朝長康郎の娘として生まれます。小学校時代は開校以来の受験天才だと持て囃され、当時首都圏の女子で最も難易度が高かった東京教育大学附属中学(現・筑波大学附属中学)に難なく合格・進学します。ここでもトップを独走し、全国模試でもたびたび1位を獲得するなど、神童ぶりを遺憾なく発揮します。 当時圧倒的な地位を誇った東京大学文科一類に現役合格し、進学します(同じ年に岸田首相も東大文一を受験しておりますが、儚く散っておられます)。卒業後、当時日本で最も優秀な人が集まると言われた大蔵省に入省し、配属された主税局調査課でも抜群の事務処理能力を発揮します。2004年には女性初となる主計局主計官に就任しています。まさに受験天才の極致でしょう。 面白いエピソードがあります。先ほど取り上げた鳩山邦夫氏(高校の先輩後輩の関係でもあります)との異次元の受験天才トークです。まだ財務省の役人だった片山さつき氏と邦夫氏が受験の話になり、「先生は高校時代、全国模試で1位、1位、3位、1位だったそうですね」と片山氏が尋ねると、邦夫氏は満足そうに「そうだ」と答えます。すると片山氏が「私は1位、1位、1位、1位でした」と勝ち誇ったように言ったというのです。これに邦夫氏は「あの女はなんだ!」とご立腹だったということです(日刊ゲンダイ2010年3月18日号より)。
じゅそうけん
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