ジャガーとブガッティを愛した男の夢 パンサー:J72からカリスタまで 旧式な姿+現代の走り!
クラシカルなカタチを求めた男の夢
形態は機能に従う。自動車メーカーの殆どは、デザインで見た目より機能性を重んじる。 BMCミニやフォルクスワーゲン・ビートルだけでなく、ロールス・ロイスやフェラーリにも該当する哲学だ。他を凌駕する豪華さや最高速度を求めて、あのカタチは創造された。それが美しいという事実が、一層の訴求力を生み出す。 【写真】現代に調和しない「美学」 パンサーJ72からカリスタ 部品が流用されたXJとエスコート ソロ2も (118枚) だが、パンサー・ウェストウィンズ社を創業したロバート・ボブ・ジャンケル氏の場合、クルマへ求めたものはカタチだった。1970年代から1980年代にかけてクラシカルなスタイリングを提案し、特定のニーズへ応えた。 ロバートは、1938年のロンドンに生まれた。父は衣料品の卸売店を営んでいたが、16歳の時にオースチン・セブンがベースの小さなスペシャル・スポーツカーを製作。一気に関心が深まり、大学では自動車工学を学んだ。 彼はアマチュアドライバーとしても技術を磨き、英国のチューニングガレージ、スーパースピード社と契約。フォード・アングリア 105Eでレースイベントを戦った。だが、ジェニファー・ロス氏との恋に落ち、結婚を期に引退を決意する。 フォードの営業マンを経て、ロバートは家業を継承。そこで元来のファッションセンスを発揮しつつ、クルマへ才能は展開していった。 1970年に、彼は1930年式ロールス・ロイスをレストア。完成後に家族でスペイン旅行へ向かうと、現地の闘牛士から声をかけられた。1万ポンドで買いたいと、申し出があったという。また、別のクルマのレストアも頼まれたらしい。
ジャガーの見た目へ強い影響を受けたJ72
これを機に、クラシカルなボディに現代的なパワートレインを組み合わせた、独自モデルの設計をロバートはスタート。パンサー・ウェストウィンズ社が設立された。 ちなみにパンサーは、ジャガーに対するリスペクト。ウェストウィンズは、自宅のあった地名に由来する。 彼の息子、アンドリュー・ジャンケル氏が振り返る。「父はかつて、人との対話から多くの達成が可能になると話していました。そんな考えでジャガーと良好な関係を築き、部品供給を受けるように。父の辞書に、ノーはなかったですね」 ほどなく、ワークショップはロンドンの西、ウェーブリッジへ移転。1972年にパンサーJ72が発表される。モデル名は、ジャンケルによる1972年の作品という意味を持つ。 見た目は、ロバートが愛する1936年のジャガーSS100へ強い影響を受けていた。レプリカと呼べるほどではなかったが、間違いなく似ていた。 アルミ製ボディは手作業で成形され、パイプを組んだチューブラーシャシーに被さった。サスペンションは、パナールロッドとコイルスプリング、ダンパーが支えるリジットアクスル。ジャガーXJ6の部品が多用されていた。 エンジンはジャガーMk2用の3.8L直列6気筒で、最高出力192psと最大トルク27.6kg-mを発揮した。1973年には、XJ6用の4.2Lユニットへ置換。オプションで、5.3L V型12気筒も用意された。 車重は1140kgと軽く、0-97km/h加速は6.4秒。最高速度は183km/hに届く。12年間に、378台が生産されている。