「地政学」で見直すべき「稲作民渡来」の誤り
関門海峡。 瀬戸内海の出口が狭かったことで、いくつもの歴史が生まれた (筆者撮影、以下同)
最近、ようやく地政学の重要性が、一般にも認知されるようになったと思う。世界情勢を知る上で、もはや地政学を軽視することはできなくなっている。民族ごとの習俗や信仰の違いも、地政学と密接な関係がある。たとえば、日本列島には強大な独裁王がなかなか出現せず、長い間、「いくつもの地域の連合体」を形づくってきた。これは、お隣の中国とは、まったく異なる。理由は、地理と地形をみれば、簡単に割り出せる。 日本列島は起伏に富んだ地形で、平地は少ない。隣村に行くのに、峠を越えて行かねばならぬ場合も少なくない。だから、広大な地域をまとめる権力者は生まれなかった。逆に中国は、早くから冶金技術が発達したため、木を燃料にして森林を食べ尽くしてしまった。『三国志』や『三国志演義』の動乱の歴史の裏側には、森林を失ったことで異常気象を誘発し、食糧危機を招いたという事情が隠されている。人口は激減し、中国文明は衰退していたのだ。そして、隠れる森林がないから、強い者が軍団を率いれば、一気に国土を蹂躙することが可能となった。こうして巨大な統一国家が生まれたのであり、一方で歴代王朝が必死になって万里の長城を築き上げたのは、「騎馬戦が大平原ではもっとも脅威となったから」でもある。
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関裕二