『百年の孤独』に影響を受けた作家が同じ失敗を感じたはず…ガルシア=マルケスを超えられない理由とは? 池澤夏樹と星野智幸が語る【第5回】
刊行後、途切れることなく読書界を賑わせ続けているガルシア=マルケスの代表作『百年の孤独』だが、刊行以来50年間、読破者がうなされたように語り続けるのはなぜなのか。本作に衝撃を受け、新聞社を辞めてガルシア=マルケスが執筆の本拠地としたメキシコ留学に旅立ってしまったという星野智幸さんと、日本で翻訳される前に英語で本作を読み、以来「追っかけ」のような読者になったという池澤夏樹さんが語り合った。 (全6回の第5回、構成・長瀬海) *** 星野 池澤さんはたくさんの世界文学から様々なものを取り込みながら小説を書かれてきたと思います。特にガルシア=マルケスが実作に与えた影響は大きいのでしょうか? 例えば『マシアス・ギリの失脚』はマジックリアリズムで書かれた作品でしたね。 池澤 『マシアス・ギリの失脚』はマジックリアリズム風に書こうと最初に決めたんです。マジカルな話をいっぱい出してもいいし、筋が通らなくてもいい。そう考えて書いたのですが、できあがってから見ると、お行儀が良すぎた。 なんでかというと、そこにはカトリックがないからなんですよ。あれがないと闇が深くならない。暗くしようと思っても暗くならないし、犯罪が犯罪らしくもならない。だから、どこかお行儀よくまとまってしまった。あれが僕の限界なんだなと思いました。ただ、そういう思いをしたのは僕だけじゃなかったと思う。世界中で多くの小説家が同じ失敗を感じたはずです。 星野 もしかするとそれは日本の社会と文学の限界なのかもしれませんね。
池澤 それもあるかもしれません。あのとき思ったんですが、やっぱり『百年の孤独』で一番大事なのはマコンドというトポスなんですよね。いや、『百年の孤独』だけじゃなくて、20世紀の文学で面白いものには必ずトポスが描かれている。ジョイスにおけるダブリン、フォークナーにおけるヨクナパトーファ。どの作品でもトポスの方が人間よりも大きなものとして捉えられているんです。それがなければマジックが始まらない。だから僕は『マシアス・ギリの失脚』で舞台を日本の内地に設定したんじゃダメだと思って、太平洋の架空の島を作ったわけです。島というのは自分で作れるんですよ。歴史から何から捏造できる。 星野 カトリックがないと暗くならないのは池澤さんを縛っているものがないからですか? 池澤 そうですね。ラテンアメリカはどこもカトリックのトーンが濃いでしょう。罪と罰の問題が大きいのはそのせいです。そのくせラテンの人たちはカトリックに反発して、民衆宗教に仕立て直してしまったりもする。例えばメキシコのチアパスのチャムラという村。ここではカトリックの教会に正式な司祭がいないんです。自主管理でやっているから中身がどんどんブードゥーに近くなる。土俗宗教になってしまったカトリックを僕はこの眼で見ました。 星野 ラテンアメリカは確かに全体がカトリックなんだけど、それぞれの土地で地域化しているので慣習が違いますよね。だから同じものには思えない。それでも何か共通するものがあるんだと探り、その世界観の作り直しをしたのがラテンアメリカ文学ブームだったんじゃないでしょうか。地域化・部族化されたものをそれぞれの語りのなかで表現した文学がたくさん書かれたし、読まれた。そのなかで、ラテンアメリカ全体で共有している大きな何かを見つけようとする動きも起こったんだと思います。 池澤 それぞれの国家としての自覚と同時に連帯の意識も生まれたということですね。
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