「お願いだからシャワーを浴びさせて」と懇願した日も「AKB48のお姉さん募集」の文字に近藤さや香が描いた幼少期の夢の先
高校卒業までアメリカのミシガン州で暮らしていた、元SDN48・近藤さや香さん。在米中のスクールバスではいつもラジオが流れており、「ラジオを仕事にしたいと思うようになった」そう。その夢は、社長秘書として働いていたある日、ひとつの募集告知を見たことで現実味を帯び始めます。(全3回中の1回) 【写真】迷彩柄のホットパンツで熱唱 SDN48時代の「脚がきれい」な近藤さや香さん(全17枚)
■英語を勉強したはずが「Draw a turtle」がわからず ── 近藤さんは小学校から高校まで、アメリカのミシガン州で過ごしていたんですよね。
近藤さん:はい。親の転勤で小学3年生の終わりくらいにアメリカへ行って、高校を卒業してから帰国しました。現地の小・中・高に通いながら、土曜日に日本人だけが行く補習授業校というところで、日本語が話せなくならないよう補習を受けていました。 新しい環境に飛び込むということで、やはり言葉には苦労しました。伝えたいことが何も伝えられなかったので、意思疎通がまったくできなくて、登校初日から大変だなと思いました。最初は英語が話せない海外出身の子たちがいるクラスに入るのですが、英語のレベルを上げていくためのテキストに「Draw a turtle」と書いてあって。それなりに英語を勉強していたはずなのに、外国の人しかいない空気感からか、亀を書くことすらできませんでした。いまだにその問題を覚えているくらい、ショックだったのだと思います。
一緒に渡米した弟はまだ2歳だったので、言葉自体がこれからという状態でキンダーガーデンに入ったんです。でも、私は日本語が最低限できる状態でアメリカに行ったので、イチから言語をやり直すことは、子どもなりにショックでしたね。 ── 特に大変だった出来事はありますか? 近藤さん:学校のテキストができずに泣いている私を見た母が「どうしてサポートしてもらえないんですか?」と学校へ聞きに行ったことがあったという話を、あとから聞きました。一生懸命すぎて、いろいろなことがありすぎて、つらいという印象を持つ前に記憶から消してしまっていることが多いかもしれません。