「悲鳴に近い歓声が…」春高バレーの歴史を変えた“無名の1年生エース”柳田将洋の出現…“天才セッター”関田誠大と悲願の全国制覇
「早く取材を終えたかっただけですよ(笑)」
23対24――鎮西のマッチポイントで奇しくも柳田にサーブの順番が巡ってきた。ミスしたら試合終了の場面。それでも消極的な素振りは一切見せず、むしろ、ここから逆転するという強い意志を込めた強烈なジャンプサーブは狙い通り、鎮西のレシーブを乱した。だが、ネットに近い位置に返球が戻ったことでセッターから近い位置にいたミドルブロッカーの攻撃を通された。23対25。セットカウント1対3での敗戦。鎮西が“3月のリベンジ”を果たし、東洋の、柳田の春高バレーは終わった。 「今、大丈夫です。話せますよ」 冒頭の言葉は、そんな激闘を繰り広げた直後だった。 本人は「早く取材を終えたかっただけですよ」と笑みを浮かべて当時を懐かしむが、後にも先にも、敗れた直後に自ら取材を切り出す選手は見たことがなかった。ましてや連覇が目の前に迫る準決勝で……。 多くの記者の前で「自分が決められなかった」「敗戦は必然だった」という的確な分析と、最後に「鎮西に優勝してほしい」と語った姿は、コートで見せた激闘以上に今も強く印象に残っている。 あれから13年――紫色のユニフォーム姿で汗を拭いながら質問に答えていた青年は、32歳になった今も、コートに立ち続けている。 勝負所でサーブ順が巡ってくると「何かやってくれるのではないか」と思わせてくれる姿は健在で、試合後に発するコメントは相変わらずクレバーだ。柳田のバレーボール選手としての今やこれからへと続く礎を築いたのが、あの春高だった。 間もなく、春高バレーの新しいページが開かれる。 1月開催になってからいまだに達成されていない大会3連覇の期待が懸かる駿台学園が制するのか。それとも、かつての柳田のように無名の選手が“主役”に躍り出るのか。そして、大会を彩る選手の中に近い将来日本代表で活躍する選手が現れるのか。 コートの中で起こることだけではなく、選手の溢れる感情や言動をしっかりを刻みたい。
(「バレーボールPRESS」田中夕子 = 文)
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