〈甲子園〉J-POP調「至学館高校」の校歌は、なぜ昔ながらの「だみ声」で合唱されるのか?――「校歌らしさ」の謎を解く
「ポップス化」は進むか?
校歌は一度作るとそんなに簡単に作り変えるものではありませんから、こういう校歌がどんどん増えているとまでは言えませんが、新設や合併などで新たに校歌が作られるようなケースでは、ポップス系の作者に依頼するようなことは今ではさほど珍しいことではなくなってきています。 そんな状況をみていると、今後も「ポップス化」が急速に進んで、校歌をめぐる景色が全く変わってしまうのではないかと思われるかもしれないのですが、なかなかそう一筋縄ではいかないのではないかと私は思います。 たしかに、一昔前の「紋切り型の古臭い」スタイルの校歌が当たり前のように作られる時代に逆戻りするようなことは、おそらくもうないでしょうが、だからといって、校歌の世界がポップスの世界と区別のつかないようなものになっていってしまうということには、なかなかならないような気がするのです。
「黄金コンビ」の作詞作曲
その意味でちょっとおもしろい事例をひとつご紹介しましょう。千葉県立富里高等学校の校歌です。富里高校は1986(昭和61)年に新設開校した学校で、校歌も開校時に作られたのですが、その際に作詞を山口洋子(1937─2014)、作曲を平尾昌晃(1937─2017)に依頼しました。 この山口と平尾のコンビは言うまでもなく、この時期の歌謡曲の世界に五木ひろしらのヒット曲を次々送り込んでいた「黄金コンビ」でした。校歌の制作をポップス系の作者に依頼するような動きなどまだほとんどなかったような時代でしたから話題になり、新聞記事でも紹介されています(「校歌作曲して平尾自ら指揮/千葉県の新設高開校式」、朝日新聞、1986年4月14日)。 ところが実際に曲をみてみると、この山口=平尾という歌謡曲の世界の「黄金コンビ」のイメージからわれわれが想像するのとは全く違ったテイストのものであることに驚かされます。もちろん、ある種の「新しさ」を感じさせるところはあるのですが、それがかなり「校歌らしさ」の方に寄った「新しさ」で、「山口=平尾ワールド」的な感じは全くないのです。