〈甲子園〉J-POP調「至学館高校」の校歌は、なぜ昔ながらの「だみ声」で合唱されるのか?――「校歌らしさ」の謎を解く
「校歌らしさ」への力学
こういう曲がまさに「校歌らしい」ものになっていることを、この歌が適応して「校歌らしく」なっていったとみるか、あるいはむりやり「校歌らしさ」の世界に引きずりこまれてしまったとみるか、そのあたり判断がわかれるところかもしれませんが、ともあれ「校歌らしく」なることで「校歌」として機能するようになったことはたしかです。 そういう意味ではこのケースでもやはり富里高校の例と同様に、新しい方向性をもった校歌を、従来の「校歌らしさ」の方に引き寄せてゆこうとする力学が働いているケースとしてみることができるのではないかと思います。 ※本記事は、渡辺裕『校歌斉唱! 日本人が育んだ学校文化の謎』(新潮選書)の一部を再編集して作成したものです。
デイリー新潮編集部
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