「兄の同居は認められない」警鐘を鳴らした児相のジレンマ 子どもの声をどうすくい上げるのか【大津女児虐待死事件(下)】
兄に寄り添える人がいたとすれば、それは彼の援助業務を担ってきたケースワーカーぐらいだろう。ただ実際には、一人の職員が同じケースを担当し続けることは難しい。彼に頼れる人はいたのだろうか。私たちは京都府児相の関係者にも取材を申し込んだが、話を聞くことはできなかった。 菅野さんは、複雑な家族で関係する機関が多岐にわたるようなケースでは、各児相の担当者はもちろん、当事者である親や子どもも交えた形で「どんな家族になりたいのか」ということをよく話し合うことが重要だと指摘する。「本人たちの『どうありたいか、どうなりたいか』を踏まえた上で、どんな懸念があり、またどのような支援が受けられるのかを全員で共有することが必要。それができていれば…」と悔やんだ。 ▽6歳少女の生きた証 事件の発生から2年が経過した。関係者によると、兄は今、少年院で危険物取扱者など複数の資格を取得するための講座を受講し、社会復帰に向けた準備を進めているという。拘置所にいる母親への手紙では、職業訓練の様子なども報告している。
薬物事件で起訴された母親は一審の大津地裁で実刑判決を受け、控訴中だ。これからの人生をどう生きるのか。面会した記者が尋ねると、きっぱりとこう語った。「早く拘置所を出て、長男が少年院を出てくる時には出迎えてあげたい。薬物関係の仲間とは縁を切り、今度こそ子どもたちと一緒に生きていく」 2023年8月1日。実愛ちゃんが亡くなってちょうど2年となる日に、一家が暮らしていた大津市の家を訪れた。家具や荷物が無造作に積み上げられていた玄関前はきれいに片付けられ、花壇にはひまわりの花が咲いていた。実愛ちゃんが見つかった公園に人影はなく、セミの声だけがしんしんと鳴り響いていた。 私たちは取材を通じて、6歳の少女が生きた証を示したいと考えた。明らかにできたことはごくわずかだが、せめて実愛ちゃんのことを知る人には、その記憶をとどめていてほしい。そう願って、彼女の名前を記すことにした。