「ネオン」の灯りはなぜ人を惹きつけるのか…札幌から那覇まで日本全国の夜の街を歩いてわかったこと
現代社会に組み込まれた、必要不可欠な機能
ネオンを探して歩きながら、僕はフリーランスとなったばかりの頃、仕事もプライベートも何もかも上手くいかず、何も手につかなくなって、ひたすら夜の街を歩いたことを思い出した。その頃、僕は日暮里に事務所を借りていて、自宅は茨城にあった。事務所泊だったその夜、歩き通して疲れ果てた僕の目に飛び込んできたのは、ネオンの灯りだった。 何も考えずに、事務所からほど近い『Bar Porto』というバーのドアを開けた。その店はドアの上にクアーズとバドワイザーのネオンを掲げていて、それがどうしても気になったのだ。実はその時が、生まれて初めての一人飲みだった。今考えると、最も入りづらそうな店を良く選んだと思うが、やはりネオンの柔らかい光が無意識に僕を誘ったのだと思う。それ以来、『Bar Porto』のマスターとは家族のようなお付き合いをさせて頂いている。小さかった娘さんとミュージシャンでもあるマスターとのポートレートは僕のお気に入りの写真である。 その時、隣にいた僕と同年代のお客は、その当日昼に長年同棲していた彼女に、愛する猫を連れて出ていかれたと嘆いていた。閉店後は、『Bar Porto』の目の前だった彼のマンションに場所を移し、狂ったようにウィスキーをあおり、大声で泣き続ける彼の姿を、不思議な思いで眺めていた。初対面である彼の痛みを前にして、僕の悩みはどこかに吹き飛んでいた。彼女の荷物と猫の居なくなった部屋で、僕は朝までただ頷くだけだった。当たり前のことだが、誰にでも苦悩や歓喜は訪れ、喜びも悲しみも、背中合わせにして僕らは生きていることを、ネオンの光は教えてくれた出来事だった。 ネオンが灯る夜の街が果たしてきた、社会的な役割とは何なのかを、撮影を通して考えてきた。自然や生まれ育った故郷、家族親族のいるコミュニティーから個人が切り離され、人々が経済活動を続けるなかで、その代償を見つけられない人々が、ネオンの灯りに誘われて夜に漂う。それは現代社会に組み込まれた、必要不可欠な機能だったのかもしれない。 社会や時代が変転していく中、繋がりあう場を失った人々が、かりそめの囲炉裏を求めてさまよい、自身の喪失に気づいて身震いする。闇は地球の自転により、太陽が作り出す自然現象である。都市生活者が放り出された闇夜という自然のなかで、調和を失った僕たちが求めたのは、ネオンという、現代の囲炉裏から漏れる、ゆらぎのある暖かさを感じられる光だった。