退屈しない自動車デザイン 大手を負かしたクリス・バングルは「先駆者」か「破壊者」か
オペル・ジュニア(1983年)
米オハイオ州生まれのバングルは、1981年にドイツのGMオペル本社で自動車デザインのキャリアをスタートさせる。1983年のフランクフルト・モーターショーで発表されたコンセプトカー「ジュニア」のインテリアデザインを担当。独創的なダッシュボードレイアウトを採用し、メーターやスイッチをそれぞれ個別のポッドに収めた。 今にして思えば、ジュニアのエクステリアデザインの一部(ヘッドライトやシルエットなど)は、1992年にデビューした2代目コルサを正確に予見していた。しかし、バングルの貢献はコンセプトのインテリアに限られており、市販モデルには引き継がれなかった。
バングルのフィアット時代(1985年)
バングルは1985年にオペルを離れ、フィアットに移籍。自動車デザイン専門メディア『Form Trends』のインタビューで彼は、フィアットにパンダの後継車デザインを依頼されたと回想している。しかし、1980年に発表されたイタルデザインによる初代パンダは、2003年まで生産が続けられた。彼のデザインは結果的に、日の目を見ることはなかった。
クーペ・フィアット(1990年)
クーペは、バングルがフィアットで手がけた最も注目すべきプロジェクトである。1990年にスケッチを始め、最終的にティーポと共通のプラットフォームをベースに、印象的なルックスの2ドアモデルを作り上げた。 デザインに対する彼のユニークなアプローチは、すでに板金に浸透していた。丸いテールライトに見られるようなレトロなスタイリングと、車輪上部の斜めのラインなど現代的な要素を掛け合わせ、ピニンファリーナの案を退けるに至った。
バングルのBMW時代(1992年)
1993年にクーペがデビューしたとき、バングルはもうフィアットを去っていた。1992年10月、BMWは彼をデザイン部門のトップに任命した。BMWが米国人をデザイン部門責任者に据えたのは初めてで、多くの人を驚かせた。当時、BMWのラインナップは3、5(写真)、7、8シリーズで構成されており、どれも比較的コンサバティブなファミリー性を帯びていた。