考察『光る君へ』43話「そもそも、左大臣殿に民の顔なぞ見えておられるのか?」「賢人右府」実資(秋山竜次)の面目躍如、きっとすごい勢いで日記を書く
「賢人右府」の面目躍如
皇太后・彰子と敦康親王が椿餅を食べながら語らう。 敦康「皇太后はお変わりになりましたね」「今は何かこう太い芯をお持ちになっているような」 彰子の太い芯は、ひとりの人を愛し愛されたという思い出と死別、そして藤式部から学んだ漢籍が形作ったものではないだろうか。大切な人を喪い、これからどう生きていったらよいのかわからない……となったとき、書物の一節に救われるという経験は現代に生きる我々、多くの人に覚えがあるはずだ。 『源氏物語』の光源氏と藤壺とは違い、穏やかに笑い合う皇太后と親王。東宮になれず帝への道は断たれたかもしれないが、敦康親王の思いがここに行き着いてよかった。 敦康親王とは違い、平穏とは程遠い毎日を送る三条帝は、実資に相談した。不安ならば信用できる蔵人頭(くろうどのとう/帝の側近)を置くようにという実資からのアドバイスに、ならば実資の養子・資平(すけひら/篠田諒)を蔵人頭にしてやろうと意気込む帝……しかし道長からは、伊周(三浦翔平)の嫡男・道雅(福崎那由他)か、道長の兄で亡き関白・道兼(玉置玲央)の三男・兼綱がふさわしいという反対があった。 体も政治も、思うままにならない三条帝。おいたわしい……そして朕を守ってくれと請われた実資が道長を訪ねた。左大臣殿の目指す、思うがままの政とはなにかという実資の問いかけに、道長が戸惑いつつも答える。 道長「民が幸せになる世を作ることだ」 実資「民の幸せとは? そもそも、左大臣殿に民の顔なぞ見えておられるのか?」 ここで更に戸惑う道長……そう。振り返ってみれば道長の知る「民」とは、まひろと直秀(毎熊克哉)ら散楽一座くらいだ。直秀たちのような者、理不尽に命を奪われる者を生まぬ世をとまひろは願った。まひろとの願いだけでここまで突き進んできたゆえに、突き詰めて考えたことがなかったのだ。民の幸せとはいったいなんなのか。 実資「幸せなどという曖昧なものを追い求めることが、我々の仕事ではございませぬ。朝廷の仕事は何か起きたとき、まっとうな判断ができるように構えておくことでございます」 これまで、ドラマの登場人物たちと共に我々視聴者はこの時代を見てきた。疫病が大流行し、長雨で洪水が起きて多くの民が死に、苦しんだ。越前には商人と称する宋人たちが多数上陸したまま帰国せず、もしや侵略の先触れではと危ぶむ一幕もあった。 政に携わる人々には、民ひとりひとりにはどうにもならないことに対処できる力と役割がある。実資の言うまっとうな判断には、深い見識が求められる。 実資は「何か起きたとき……」と言ったが、1000年後の政では、過去の事例と照らし合わせて備えができる。日本では長い歴史の中で後世の人々へと、多くの記録が残された。実資のような人物たちによって。多くの厄災を乗り越えてきた記憶、記録、歴史が我が国の大切な宝なのだ。 道長は「志を持つことによって、私は私を支えてきた」と食い下がるが、 実資も「志を追いかけるものが力を持つと、志そのものが変わってゆく! それが世の習いにございます」 と畳みかける。志を持つことは大切だが、それは幸せと同じく非常に曖昧なものである。力を持たない時点で掲げた理想が、権力者となると変質し、政が捻じ曲げられることはままあるのだ。ふんわりとした理想ではなく、地に足のついた実務重視!「賢人右府」と讃えられた藤原実資の面目躍如という名場面だった。しかしその諫言も、道長には「意味がわからん」と一笑に付されてしまった。
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