スポーツブランド・Onが認知ゼロから愛されるブランドになるまで。駒田博紀が語る「熱を生むブランディング」
制約から生まれた型破りのマーケティング戦略
2013年4月、駒田さんは宮古島トライアスロンにOnのブースを出展。最初は数少ないOnシューズでの出場選手を、島中追いかけて応援していた駒田さんでしたが、やがて自らトライアスロンに参加することを決意。 宮古島トライアスロンへの出場には、さまざまな条件があります。そのためにまずはローカル大会に向けて練習を開始した駒田さんは、その過程をすべてFacebookで発信することに。 100mも泳げずに溺れかけた練習初日から、すべてを共有しました。すると、トライアスリートのコミュニティの方々が、アドバイスをどんどん下さるんですよ。 自分が体を張って練習する日々が、日本のOnにとって唯一のコンテンツとなった。そして、超小規模なコンテンツマーケティングとして育っていきました。 コミュニティではSNSを介して、駒田さんの存在がじわじわと認知されていきます。「たった1年で宮古島大会に出ようとしているらしい」「Onというランニングシューズを広めたくて、そんな無謀なチャレンジをしているらしい」と話題になり、Onへの注目も集まりはじめました。 僕のイメージとして、コミュニティの外側には殻のようなものがある。ブランド側が一方的にメッセージを投げつけても、殻に弾かれて中の人に届かない。 しかし、コミュニティの内側に自ら入っていけば、そこにはもはやフィルターも殻もありません。自身がコミュニティに飛び込んで、一人ひとりと向き合いながら横に広げていかなければ、ブランド側の言葉は届かないと思います。
人と人とのつながりは、数字では表せない
宮古島トライアスロン2週間前、交通事故に遭った駒田さん。幸い大きな怪我はなかったものの、競技用バイクが大破してしまいます。 しかしそんな時、トライアスロンバイクのブランドから「試乗車を貸しましょう」と申し出があったのです。 そこまでしていただいたからには、何が何でも完走しないと。このOnのシューズを履いて宮古島を完走できたなら、必ず日本でOnはうまくいくと願掛けまでしました。 そして迎えた宮古島トライアスロン本番。制限時間6分前、駒田さんは何とかフィニッシュし、完走を成し遂げます。その瞬間の写真をSNSに投稿すると、思いがけない反応があったそうです。 それまで「駒田さん」と呼ばれていたのに、「駒ちゃん、よくやった」「おまえ、すごいぞ」と、急に雰囲気が変わりました。 お客様であり友達のような、なんだか不思議な関係になってきた。そのときに、これがもしかしたら、Onが日本で成功するための打開策かもしれないと閃きました。