「日本の家庭の味を出したい」東京の下町で奮闘する、ベトナム人の定食屋
鯖塩焼き、あじフライ、あこう鯛の粕漬け焼き……和風のメニューが並ぶ「さくら食堂」だが、切り盛りしているのはふたりのベトナム人だ。異国からやってきた若者たちは、日本の大衆食堂という文化に惚れ込み、店を開くまでになったのだ。早朝の市場で仕入れをし、厨房とホールを慌ただしく行き来する、ふたりの毎日を追った。(ジャーナリスト・室橋裕和/撮影・菊地健志/Yahoo!ニュース 特集編集部)
自慢の料理は魚の煮付けとミックスフライ
「向こう三軒両隣」 そんな日本の言葉を、毎朝実践しているベトナム人がいる。東京の下町、文京区の道灌山通りで「さくら食堂」を営むグエン・バン・ズンさん(30)だ。開店のだいぶ前、朝9時ごろに、いつも食堂の前の歩道をほうきで掃き清め、それから近所の店のまわりも同じように掃除する。 「隣の人は、もっと早い時間にうちの前を掃いてくれるから。お互いさまです」
それからは慌ただしく開店準備に追われる。店内もきれいに整え、料理の仕込みをし、魚や野菜の入荷の具合を見て「本日のおすすめ」を決め、メニューを漢字で書いていく。その看板を店先に出すと、すぐに常連客がやってくる。近所に暮らしている年配の男性だ。 「今日はなにがおすすめ?」 「赤魚の煮付けですね、おいしいですよ」
ほかにも店内を見渡せば、ブリ照り焼き、豚の生姜焼き、まぐろの刺身なんてメニューが躍り、お腹が減ってくる。「本日の煮物」とやらも気になるし、定食の味噌汁は150円で豚汁に変更できるらしい。純然たる、日本の定食屋なのだ。 昼どきになると、近隣の会社員が次々にやってくる。 「いらっしゃいやせー!」 ズンさんは、がぜん威勢のいい声を上げてお客を出迎える。ランチタイムの賑わいは定食屋の華だ。ズンさん自慢のミックスフライ定食をもりもり食べていた営業マンは「なに注文してもだいたいうまいから、よく来てますよ」とごはんのおかわりを頼んだ。
IT関連の4人組もやはり常連だという。 「ベトナムの方がやってるってことは知ってますよ。でも関係ない。単においしいから来てる。ここはね、米がうまいんすよ」 そう教えてくれた。秋田から仕入れた米をふっくらと炊いているのだ。漬け物だって毎日ぬか床を混ぜている自家製だ。そんなことを知っているお客がどんどんやってくる。ウーバーイーツの配達員も顔を出す。コロナ禍で客足は減っているとはいえ、それでもてんてこまいだ。だからズンさんのほかにもうひとり、マイコン・ダンさん(31)も忙しく働く。「さくら食堂」は、彼らふたりの店なのだ。