「日本の家庭の味を出したい」東京の下町で奮闘する、ベトナム人の定食屋
「何年か前、井の頭公園にお花見に行ったんです。そのときの桜が本当にきれいだった」 外国人にもよく知られた日本の象徴でもあり、女性も入りやすい雰囲気の店を、と「さくら食堂」はオープンした。2020年1月25日のことだ。 マスターの奥さんが手伝いにも来てくれて、初日は大盛況だった。ところが、新型コロナウイルスの感染拡大の影響が次第に出てきた。それにときどき、店に入ってきたのに、ズンさんたちの顔を見るなり出ていってしまう客もいる。外国人が和食を出すことに違和感を覚える日本人もいる。 「でも一度、食べてみてほしい。日本人に負けない味だと思っているから」
ダンさんが悔しそうに言うが、一方で「まず食べてみよう」という日本人だってたくさんいるのだ。そんなお客が少しずつ増えてきた。だんだんと常連もついてくる。 「僕たちは外国人だから、あまり深い話はできないかもしれない。でも挨拶だけはしっかりしようと思って」 そう心がけ、「あの人はごはん軽め」など顔と好みを覚え、隣近所も掃除していくうちに、少しずつこの下町になじんできた。 「ベトナム人が日本の定食屋をがんばっている。素敵だなと思ってますよ」 近所の会社に勤める男性は言う。そう言ってくれる人がいるのも、やはり「味」あってのこと。だからふたりは常に旬の素材をふんだんに使おうと、週に1、2回ほど魚市場に行って、目利きや仕入れもこなしている。
早朝の市場でベトナム人が買い付けをする
「おはようございまーす!」 早朝6時。千住大橋のそばに広がる足立市場で、ズンさんは仲買人たちと声をかけあった。 「今日はなにがいいですか」 「鱈うまいよ。三陸のやつ。あと鯖、それにホタテかな」 笑顔で世間話を交わしながら、次々に注文していく。手元のノートにびっしりと書き込んであるのは、毎日の仕入れリスト。すべて日本語だ。それを見ながら、商品を抱えた仲買人やターレーが慌ただしく行きかう市場の中をすいすいと歩いていく。