「日本の家庭の味を出したい」東京の下町で奮闘する、ベトナム人の定食屋
「厨房からも、お客さんの顔が見えるんですよ。食べ終わったお客さんが満足そうな顔していたり、食った食ったーなんて言ってるのを聞いたりすると、幸せな気持ちになります。お金をもらうのもありがたいですけど、そういう顔をもらうのがなにより嬉しいんです」 日本人だったらちょっと照れてしまいそうなことを、ダンさんは真顔で言う。ベトナムの若者ふたりに、そんな心持ちを与えてくれたのは、ともに「修業」をした東京・巣鴨にある食堂だ。
「東京に来たばかりのころ、自転車で近所を走っていたときに見かけたんです」 繁盛していた食堂だった。軒先にはアルバイト募集の貼り紙があった。ズンさんはそれを見て、もちろん日本語で履歴書を書き、面接に赴いた。 来日3年目、2012年のことだ。佐賀県の日本語学校で2年間学び、それから上野にある大学に進学するために上京してきたが、まずはアルバイトを見つけなくてはならない。
留学生のころに出会った巣鴨の食堂
「父は、どうしても生活がきつかったら送金すると言ってくれたけど、なるべく自分で稼いで生活したかった」 だから佐賀でも、うどん屋やハンバーグ屋などでアルバイトをしてきた。東京でもどこか飲食の現場で、と思っていたところ、面接に合格したその食堂で目を見張った。 「食べさせてもらったぶり大根が、本当においしかったんです」 ほかにも鱈の煮付けや、旬の刺身……どれも絶品だった。改めて和食の世界が魅力的に見えた。それになにより、お客を温かく迎え、いつもわいわいと繁盛している店の雰囲気に引き込まれた。
ズンさんが「マスター」と呼んで慕っている食堂の社長が、当時を振り返る。 「はじめは洗い場、それから野菜の仕込み、魚の仕込み、揚げ物、焼き魚、炒め物、煮物まで、少しずつ教えていきましたが、とにかくまじめでしたよ」 ズンさんも言う。 「日本人でも外国人でも、仕事や給料は同じ。だから働きやすかったし、季節ごとにいちばんおいしいものを提供するところも面白いと思った」 大学と食堂を行ったり来たりする毎日が始まった。そんなズンさんの姿を見ていたマスターが、よく覚えていることがある。 「うちに来て1カ月か2カ月、経ったころかな。仕事が終わった後に、スタッフみんなでボウリングに行ったらしいんですよ。もちろん彼も誘われてね」 翌日のことだ。ズンさんはみんなで撮った写真をスマホの待ち受け画面にしていて、嬉しそうにマスターに見せてきたという。 「そのとき感じたんです。この子は本当に、日本人と仲良くやっていきたいんだな、と」