「要領のいい人はずるい」という安易な思い込みが不幸のもとになる ヒトはいつ「歪み」を抱えるのか
要領がいい人はずるい?
誰かを指して「あの人は何かにつけて要領のいい人だ」という言い方をされたら、その人は、いつも楽していて、いいところだけ取っていくずるい人のように思えるかも知れません。 しかし“要領がいい”ことの定義はどうなっているのかと言いますと、「大辞泉」では“処理のしかたがうまい。手際がいい”という優れている点を伝える意味と、“手を抜いたり、人に取り入ったりするのがうまい”という非難の込められた意味の両方があります。後者の意味では確かに“ずるい人”というニュアンスも読み取れます。 逆に後者の意味で「自分は要領が悪い人間だ」というと、「自分は手を抜くのが苦手だ。人に取り入ったりするのが苦手だ。お世辞を言うのも苦手だ」といった感じになりそうです。生真面目で誠実な人のようなイメージすらします。 しかし、果たしてそうなのでしょうか。確かにそういった人の中には「自分は人付き合いが苦手だ」という人もいます。それ自体は個性でもあり決して悪いことではないですが、この「人付き合いが苦手だ」というのもときに曲者です。 よくある例が、人付き合いが苦手というのが免罪符になってしまって、挨拶しない、お礼を言わない、謝罪をしない、相手に気配りしない、といった不快な行動を他者にとってしまうことです。そういう人とは仲良くしたいとあまり思わないのではないでしょうか。それでますます人が離れていき、その人は“自分は人付き合いが苦手”と思い込んで、“お世辞を使って人に取り入ったり世渡りするのがうまい”人を蔑んだりするのです。 私は、お世辞を使って人に取り入ったりできることは、その人の才能だと思います。お世辞を言われていい気持ちになるのは事実ですし、見え透いたお世辞や、利益を求めるがための付き合いはすぐに見破られます。相手に取り入るには、相手に関心をもってよく観察し、相手への気配りができねばなりませんし、その人自身にも人としての好感度や誠実さが求められるはずです。ですから、これができる人は逆に魅力のある人なのではないでしょうか。“人に取り入ったりするのがうまい”人は、決してずるいのではなく、誠実で魅力のある人とさえ感じます。“要領がいい人はずるい”というのは、そうできない人の固定観念であり、妬みなのかもしれません。
宮口幸治(みやぐち・こうじ) 立命館大学大学院人間科学研究科教授。医学博士、臨床心理士。京都大学工学部を卒業し建設コンサルタント会社に勤務後、神戸大学医学部を卒業。児童精神科医として精神科病院や医療少年院等に勤務、2016年より現職。一般社団法人日本COG-TR学会代表理事。 デイリー新潮編集部
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