「要領のいい人はずるい」という安易な思い込みが不幸のもとになる ヒトはいつ「歪み」を抱えるのか
真面目な人は頭が固い?
真面目という言葉も、状況によって解釈が難しく、歪みが生じやすいものと感じます。結婚するなら真面目な人という表現がされるように、一見、褒め言葉のように思われる一方で、「真面目な奴」と言われれば頭が固く融通が利かないイメージを持たれることもあります。状況によっては褒められているのではなく、むしろ馬鹿にされている感すらあります。 これはコツコツと頑張ることを否定しかねない固定観念でもあります。勉強をコツコツ頑張って優秀な成績をとっている子に対して、ときに「勉強だけできてもね」といった心無い声かけがなされることもあります。きっとそういった人たちの中には“勉強ばかりやっている人は自己中”“人を蹴落としていい成績を取っている”といった固定観念があるのでしょう。 私も会社員をしていた20代の頃、ある飲み会の2次会で連れて行かれたスナックで、先輩から「彼は京都大学卒だよ」とママに紹介され、すかさずそのママから「なるほどね……そうやって人を蹴落としてきたんだね」と言われ、合点がいかなかったことを今でも鮮明に覚えています。1浪しましたが受験勉強だけをして過ごした高校から浪人時代は、むしろ自分との孤独な戦いでした。結果的に何とか志望校に入れただけであって、人を蹴落とすことなどとは無縁でした。 また同じく会社員時代、ある高卒の上司から飲み会の度に「大卒だというだけで出世するのは不公平だ」と言われ続けたことがあります。学歴で最初から差をつけられてしまうことを不公平に思ったのは分かります。ただ現在、「親ガチャ」などもあり大学に行けない高校生もいるとしても、昔のような身分制度もなく、家柄も問われず、基本、本人の努力次第でさまざまな職業に就ける可能性のある、現在の開かれた社会は、むしろ公平ではないかとそのとき感じました。 今、コツコツと頑張っている子はしばしば“真面目な奴”と周囲からからかわれたりすることもありますが、そのような子のやる気をそがない配慮が周囲の大人にも必要でしょう。