「要領のいい人はずるい」という安易な思い込みが不幸のもとになる ヒトはいつ「歪み」を抱えるのか
身近な固定観念の歪み
ここからは固定観念の歪みの身近な例についてお話しします。私たちはみんな何らかの固定観念をもっています。固定観念の内容によっては歪んだ幸せにつながるものもあります。ただその結果が自分だけで終わるものはまだ仕方ないとしても、他者に押し付けたり、周囲の人たちを歪んだ幸せに巻き込んでしまったりする場合もあります。「判断の歪み」にもつながってしまうそういった例を、いくつか挙げてみます。
金儲けする人は悪い?
概してお金を儲けていると聞くと、何やらずるいことや悪いことをしているというイメージが付きまといます。特に福祉関係の仕事でお金儲けをしていると聞くと、“初心を忘れ金儲けに走った”などとこき下ろされたりします。 こういった背景には福祉はお金でなくボランティア精神で臨むべきといった固定観念があるようです。これらは同業者に向けて言われることもあります。自分たちは低賃金でも頑張っているのに、あそこは障害者をだしにして金儲けしている、といった批判がなされたりします。 しかし、様々な仕事をしているみなさんが、もし無給でもその仕事をやるかと言われたら、大半の人たちはやらないでしょう。ほとんどの人たちはお金がもらえるから仕事をしているはずなのです。給与が上がることが嬉しくない人は少ないでしょう。 個人的にはお金は神聖なものと考えています。労働の対価でお金をもらうのは当然ですが、そのためには自分の人生の一定の時間を提供する必要があります。労働時間がなければ代わりに好きに使えたはずの自由な時間です。それらを犠牲にする代わりに労働の対価としてお金をもらっているわけです。ですので、お金は自分の命の時間そのものと思います。お祝いのとき、感謝の気持ちを表すとき、謝罪の必要があるとき、お金を包むことは失礼ではありません。ある意味、自分の命の時間を削って渡している訳ですから。 福祉は低賃金でも働くべきだといった固定観念は、人手不足を招きサービスの低下につながるリスクもありますので、単に固定観念の問題だけでは済まないと思われます。