「要領のいい人はずるい」という安易な思い込みが不幸のもとになる ヒトはいつ「歪み」を抱えるのか
良かれと思って口にする言葉が、実は極めて無責任な言葉となることがある――『ケーキの切れない非行少年たち』の著者として知られる臨床心理士の宮口幸治さんは、そう指摘する。相手の状況次第では、勘違いのタネとなりかねないからだ。結果として、それらは「判断の歪(ゆが)み」を生み、人を不幸にしてしまう、と宮口さんは説く。 前編ではその実例として、「みんなと同じでなくていい」「人によって態度を変えるな」などをご紹介した。後編では、さらに一見ポジティブな言葉に潜む落とし穴、さらには「一見もっともらしい言説」が生む勘違いについて見てみよう。 「失敗を恐れるな」「頑張れるはずだ」といった前向きな声かけがマイナスに働くとはどういうことか。 「真面目な人は頭が固い」「要領がいい人はずるい」といった「俗説」をうのみにするとどういう問題があるか。 身近な「歪み」の原因となる言葉の数々について、宮口さんが問題点を指摘する。(前後編記事の後編・『歪んだ幸せを求める人たち ケーキの切れない非行少年たち3』をもとに再構成しました)。 ***
「やられたらやり返せ」
「やられたらやり返せ」という言葉は一時期テレビドラマで流行りました。悪い奴らを退治するという意味で用いられる限りにおいては一見、正義感の強さを表しているようにも感じます。しかし万が一、これを額面通りに子どもが受け取り、子どもがその通りにしてしまうと、とんでもないことになります。「誰かに叩かれたら、叩き返せ」など真剣に子に教える大人がいたらいったいどうなるでしょうか。無責任な言葉かけどころか危険な言葉かけです。身につけてほしい理想は“やられても相手にしない”です。 かつて殺人事件を起こした少年の保護者と面談したことがありましたが、父親は「昔から、やられたらやり返せと言ってきた」と話していました。そこで少年は自分を虐めてきた先輩をバットで殴り殺したのです。しかも父親は被害者に対して「あいつが悪いんや。被害弁償など絶対にしない」と逆ギレしていました。自分の息子が殺人犯なのに、です。 テレビ番組でも、嫌なことをされた人が仕返しをしてスッキリした、といった内容が放送されたりしています。仕返しをした直後はスッキリするかもしれませんが、相手の苦しむ姿や困った姿を想像すると後味は悪いものです。更に相手に恨みをかい、また相手が攻撃してくることも十分ありえます。ですから、仕返しなどせず自分が我慢しておけば済んだのに、と思うことも多々あるはずです。 昔から日本では“仇討ち”が時には英雄的行為のように描かれていますが、結局は相手への憎悪の混じった復讐です。その時は仇をとったと思うかもしれませんが、果たしてその後の人生でずっと気持ちが平穏でいられたのかどうか、疑問に思います。いくら仇でも、人を殺したという罪の意識にさいなまれることもあったのではないかと思います。むしろ、そうであってほしいとも願います。