「クライミングは仕事にしたくない」森秋彩(21歳)が五輪後に告白…10代で脚光を浴びたエリートが、“パン屋のアルバイト”を志した深い理由
「黒歴史みたいに隠していたんですけど…」
休んだことで得られたものは大きかったと振り返る。 「あえて心から登りたくなるまで待って『行ってみようかな』と再開したとき、クライミングを最初に始めた頃に心から純粋に楽しめている自分と重なりました。その感覚があったことでやっぱり自分にはクライミングが必要なんだなと気づけて、そこから義務感でやるんじゃなく自分の成長のために、自分の人生を彩ってくれるクライミングと付き合おうと決心できたと思います。 あの時期がなかったらたぶんオリンピックに出られていなかったと思います。辛い時期があったにもかかわらずオリンピックに行けたというより、そういう時期を乗り越えられたから手に入れられたオリンピックの切符だと思うので、決して無駄な経験ではなかったと思っています。辛い時期のことは過去の黒歴史みたいに隠していたんですけど、これだけ元気になってオリンピックにも出られたし、出していってもいいのかな、出した方が同じ境遇にある人たちにも希望を与えられるんじゃないかなと思いました」
森がパン屋でアルバイトをする理由
高校を卒業してプロになる選手も少なくない中、筑波大学3年生の森は競技と学業の両立を図ってきた。その考え方もクライミングを離れることになった要因とそこで気づいた思いと通底している。 「私はクライミングが大好きだから仕事にしたくなくて、だから学業と両立してやっています。学校でスポーツに対していろいろな視点から学ぶことで多様な考え方が身についてそれが競技にも生かせると思います」 競技と学業に加え、森がパン屋でアルバイトをしていることもパリ五輪期間中に報じられ、話題となった。 「小学校からずっと部活動に入っていませんでした。大学に入ってから上下関係でしごかれてきたバリバリの部活を通ってきた人たちの友達ができて、自分は社会的なマナーだったり礼儀だったり、そういうのが身についていないなと思いました。でも他の競技で部活動に入るわけにいかないから、社会勉強としてアルバイトを始めました。日中は忙しいので朝イチで入れるところを探した結果、パン屋さんのアルバイトでした」 思いがけない反響も起こったパリ五輪は、ただ楽しいだけの大会ではなく、巻き込まれた騒動も含め、貴重な経験を数多くした時間であった、と語る。《インタビュー第2回に続く》 (撮影=釜谷洋史)
(「オリンピックへの道」松原孝臣 = 文)
【関連記事】
- 【続きを読む】「そこは違いますと伝えたい」パリ五輪で物議“高すぎるルートセット”を森秋彩が語った…「意図して私を落としたわけではない」語気を強めた言葉
- 【実際の写真】「なぜ届かない…」パリ五輪で物議“高すぎるルートセット”に森秋彩が苦しんだ実際の場面。五輪後にNumberフォトグラファーが撮り下ろした21歳の現在の姿も。この記事の写真を見る。
- 【合わせて読みたい】「最初のホールドをつかめない」スポーツクライミング、154cmの森秋彩20歳に不利なルートセットに批判も…本人は毅然「身長は関係ない」
- 【こちらも】7つ上の“年の差婚”「今は彼のほうが大人」アスリート夫婦・野口啓代(32)が明かす新婚生活、野菜が苦手な夫のために栄養学を勉強中
- 【もっと読む】「戦友ですね」野中生萌(24)と野口啓代(32)を強くした“年の差でもリスペクト”のライバル関係《スポーツクライミング銀・銅メダル》