ブル中野は15歳で全女に入り、約1年で極悪同盟に強制加入 ダンプ松本からは「半ハゲでいいな」
ブル中野インタビュー 前編 Netflixで全世界に配信中の『極悪女王』が好評を博している。1980年代に起きた空前の女子プロレスブーム。そのブームの中心となった全日本女子プロレスのヒールユニット「極悪同盟」の主人公・ダンプ松本を描いたドラマだ。 【写真】ブル中野インタビュー フォトギャラリー その極悪同盟のNo.2として活躍したブル中野は、ダンプの引退後、WWWA世界シングル王者として全女を牽引。1990年11月、アジャコングとの金網デスマッチで再び大ブームを巻き起こした。1993年から1994年にかけてはWWF(現在のWWE)に長期遠征し、日本人女子レスラーの海外進出の礎を築いた。 デビュー当時、ベビーフェイスのレスラーとして活躍していたブルは、なぜ悪役として生きていくことになったのか。プロレスラーになったきっかけから、本人に振り返ってもらった。 【小学5年生で衝撃を受けた猪木の闘い】 ――まずは、プロレスに興味を持ったキッカケから教えてください ブル:小学5年の時、母、妹と一緒にアントニオ猪木さんの試合をテレビで観て衝撃を受けました。血だらけで闘っているのを、最初は「怖い」と思っていましたが、攻められて流血していた猪木さんが勝ったんです。その瞬間、心を動かされました。 それまでの自分は、毎日をただ平穏に過ごしていて"生きる"ことに関して無頓着でしたが、「今まで、私は生きていなかった」と思ったんです。それで「プロレスってなんだろう?」「アントニオ猪木って、いったい何者なんだ?」と興味が湧いてきて、貪るようにテレビを観たり雑誌を読んだりしました。 ――そこから、自分もプロレスラーになろうと思ったのはいつ頃ですか? ブル:中学1年の時に、母から「そんなにプロレスが好きならやりなさい」と言われ、勝手にオーディションのハガキを出されて......そうしたら、受かっちゃったんです。 ――全女のオーディションには年齢制限があって、15歳以上のはずでは? ブル:母は年齢制限を気にせず写真も送って、「オーディションに行けばジャガー横田さんやデビル雅美さんに会えるよ。サインをもらえるかもよ」と鼻先に"ニンジン"をぶら下げられました(笑)。そうしてオーディション会場に無理やり連れて行かれたんです。 オーディショは合格でしたが、13歳では入門できないので「中学校を卒業したら来てください」と言われました。だから、入門は中学を卒業してから。ちなみに、その時のオーディションでは立野記代さんと山崎五紀さんも受かっていますね。