「クライミングは仕事にしたくない」森秋彩(21歳)が五輪後に告白…10代で脚光を浴びたエリートが、“パン屋のアルバイト”を志した深い理由
12歳での史上最年少優勝…注目は重圧に変わっていた
「6年くらい前ですね。中学2年の終わりから3年生の頃です」 森が頭角を現し、将来を嘱望される存在になっていた頃だ。 2016年5月、中学1年生の森は19歳以下が出場できる日本ユース選手権ボルダリング競技大会で優勝すると、翌月のリードジャパンカップでも優勝を果たした。このとき12歳、史上最年少での優勝であった。 中学2年生になってアジアユース選手権や世界ユース選手権の日本代表に選ばれ、両大会のリードで優勝し世界ユース選手権では複合でも銀メダルを手にした。その後も国際大会で活躍、2019年にはワールドカップで3度表彰台に上がった。はた目には華々しい活躍だった。だが内面は異なっていた。 「楽しくてひたすら登っていただけなのに、だんだん周りから注目されるようになって自分で自分にプレッシャーをかけちゃったり、1位を獲らなくちゃいけないと成績に執着してしまったことで、自分らしい登りができなくなって。伸び伸び登れなくなっていきました。そのうちに成績が出なくなって、落ちこんでという悪循環に陥っていました。そのときは『順位イコール自分の価値』だと思っていました」 成績が出ないと、自分の存在そのものを否定する、そんな思考に苛まれた。 「このままだったら自分の競技人生を無駄にしてしまうなと思ったので、それだったら一回早めに休んで、自分と向き合ってから再開しようと思いました」
驚きの告白「クライミングをこのままやめてもいい、と」
競技の第一線から離れることを決めた。2019年を最後に、2022年まで国際大会の舞台から森の名前は消えた。 休むことに不安はなかったと言う。 「休むときは“クライミングをこのままやめてもいい”ぐらいの覚悟だったので」 時を経て、競技の場に戻る。ワールドカップの舞台で復帰戦となったのは、2022年、コペル(スロベニア)でのリードの大会だ。 「クライミングの国際大会参加を再開してすぐ楽しいなと思いました。コペルのワールドカップに出たときは優勝とか狙っていたわけじゃないですけど、ここで登っているのが気持ちいいな、この快感を味わうために私はワールドカップに出ていたんだなと感じて、その感覚のまま突っ走ったらいつの間にか優勝していました。やっぱり楽しむということが大切だし、大会に出るのは辛いだけじゃなくこういう楽しさを味わうためでもあるんだなと実感しました」
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