阿川佐和子さん、きものリメイクで「蘇る父と母」
【連載】阿川佐和子のきものチンプンカンプン
形見分けとなったお母さまのきものと積極的に向き合っていくことを決意した阿川佐和子さん。“チンプンカンプン”なことばかり……と迷走しながら、歩みはじめたきものライフを、小粋なエッセイとともに連載でお届けします。 ・阿川家のアルバムに収められたワンショット。嬉しそうなお父様と少し緊張気味の阿川さん。
「蘇る父と母」── 阿川佐和子
実家から持ち帰ってきたのは母が残したきものだけではない。父の単衣のきものも数枚あった。紺色、濃いグレー、細い縦縞……。いずれも父の匂いが染み込んでいるような気がする。しかしこんなもの、持ち帰ったところで誰が着る? ウチの亭主殿がきものに目覚めることはないだろう。そう思ったが、捨てるには忍びない。とりあえず取っておくか。家に戻って茶箱にしまった。 ついでに持ち帰ったのは大量の服地である。母は若い頃、アメリカ製のパターンや雑誌の付録についていた型紙を参考にしてよく服を縫っていた。子供時代、私の夏のワンピースは母手製のものが多かった。そんな生活習慣の名残だろうか、気に入った生地を見つけると購入しては箪笥に溜めていたようだ。日の目を見ることのなかった生地ながら、なんとなく懐かしい。ああ、この木綿地で母は自分のワンピースを縫うと言っていたっけ。 私は洋裁をしない。得意でない。でも洋裁好きの友達はいる。そんな人に差し上げたら何かに役立ててもらえるかもしれない。あるいは彼女に私の服を縫ってもらおうかしら。そう思って実家から持ち帰り、こちらも茶箱にしまっておいた。 そこへ敏腕きもの編集者のカバちゃんとカリスマ着付師イッシーが我が家へやって来た。茶箱の中を覗いた途端、 「このお父様のお着物、なにかに使えないでしょうかねえ。羽織にしたらどうかしら」 ついでに服地を見つけ、 「あら、この服地、帯にしたらステキですよぉ」 そんなことができるの? そもそも父は、私が幼い頃はもっぱらきもの姿で机の前に座って原稿を書いていた。年を経るにつれ父の家着はパジャマや洋装に変化していったが、それでもお客様が見えると、 「ちょっと失敬」 書斎に戻り、きものに着替えて改めて客人を迎えたものである。 長く着続けてきたせいか、お尻のあたりがかなり摩耗しているものもある。 「大丈夫ですよ。こっちを袖にして。羽織になる分、じゅうぶん取れますよ」 イッシーが長さを測り出した。本当に父のきものを私の羽織りにリメイクする気か? そんな羽織を着たら、父の怨念が私の肩にのしかかってきたりしないか?