《月経と女性の恐るべきヒストリー》平安時代は血を麻布で拭き「月経小屋」に隔離…「月経=穢れ」の歴史
#8 大ヒットのビクトリヤ月経帯は一種のステータスだった
大正時代から昭和初期に一世を風靡したのがビクトリヤ月経帯。今で言うところのサニタリーショーツのように、肌に当たる部分に初めて薄いゴムが使われ、防水になっている画期的な月経帯であり、それなりの高級品であったために、愛用者であることは一種のステータスになったほど。 芥川龍之介の小説『悠々荘』に、さり気なくこのビクトリヤ月経帯の話が出てくるほど、時代のトレンドだったのだ。広告の華やかさも相まって、着物や洋服を汚さない防水機能の登場が、女性たちの気持ちをどれだけ豊かにしたか、計り知れない。
#9 第二次世界大戦中、脱脂綿すら使えなかった?
ただ、戦争は月経事情をまた最悪なものにした。第二次世界大戦が始まると、原料を中国からの輸入に頼っていた脱脂綿の供給が一気に制限され、古布やちり紙が代用された。 一方、先にご紹介したビクトリヤ月経帯に使われていた薄ゴムも統制の対象となり、古いモスリンなどで対応することが推奨される。 また、使用済みの脱脂綿やボロ布を腟に詰め込む方法が取られたりしたが、戦時中だけに不衛生になりがちで、感染症のリスクも非常に高まった。時代は完全に逆戻りした訳で、戦争はこんなところにも悲劇をもたらすのだ。
#10 「40年間お待たせしました」アンネ登場のドラマ
私が初潮を迎えた頃、生理はもっぱら「アンネ」と呼ばれていた。それは女性たちを煩わしさから救った革命的製品の名前であったから。 1961年、水洗トイレにも流せる初の使い捨てナプキン「アンネ」のデビュー広告は「40年間お待たせしました」。使い捨てナプキンが既に常識となっていた、アメリカから遅れること40年という意味である。しかも起業したのはなんと27歳の女性。女性活躍の先駆けの先駆けとも言えるこの人が“女性の快適な生活のために”と立ち上がらなかったら、それはさらに遅くなったはず。 そしてアンネナプキンの明るく華やかな世界観が、根深く残るケガレのイメージを払拭する鍵となった。発売から約2年でシェア80%となり、尚も口にしにくかった生理を「アンネ」と呼ぶほどの社会現象。それを受けて広告コピーは「アンネの日と決めました」と変わっていた。