危険はらむスンニ派とシーア派の宗派対立 中東で広がる
イスラム教過激派組織「イスラム国」が昨年6月に出現して以来、中東はさらに混迷を深めています。イラク戦争後の混乱、長引くシリア内戦、そしてイエメンでは今年1月、シーア派武装組織「ホーシー派」とハーディ暫定大統領派による南北対立が続いています。こうした混乱の背景に見えてくるのは、イスラム教のスンニ派とシーア派による「宗派対立」の拡大です。 【図】イスラム教「スンニ派」と「シーア派」どう違うの?
シーア派とスンニ派の起源
世界中で15億人いると言われるイスラム教徒。およそ9割がスンニ派 、1割がシーア派と見なされていますが、両派の成立はイスラムの歴史の初期――日本では大化の改新や壬申の乱の頃――にまでさかのぼります。
預言者ムハンマドが死去したのが632年。イスラムの考え方では、ムハンマドが人類にとって最後の預言者であり、もはや神から啓示が下ることはありません。しかし信徒は教えを守って宗教共同体を維持していかねばなりません。そこで預言者の代理人(カリフ)を選ぶことになりました。ところが2代目、3代目のカリフとも暗殺され、4代目のカリフにはムハンマドの従弟にして娘婿のアリーが選出されたものの、3代目を支持していた人々がこれに反発し、アリーもまた暗殺されます。そこでアリーの支持者はその男系子孫こそカリフたるべきと主張、他の人々と袂を分かちました。ここで「アリーの派」(シーア・アリー)と呼ばれる一派が成立、これがシーア派となったのです。それ以外の多数派として後で名づけられたのがスンニ派です。 こうして政治的対立によって両派が分かれ、現在ではイランを中心に、イラクと湾岸アラブ諸国、レバノン、パキスタンとイエメンの一部にシーア派人口が見られます。宗教儀礼にいくつか違いがあるものの、教義に本質的な違いはありません。時にはある王朝の支配者が他方の派の人々を迫害することもありましたが、両派が混住する地域では「同じイスラム教徒」という意識で概ね平和共存してきたと言ってよいでしょう。今日でも両派の間で結婚したり、また女子への相続を重視する人がスンニ派からシーア派に改宗したり、という事例がたまに見られます。