危険はらむスンニ派とシーア派の宗派対立 中東で広がる
反シーア派プロパガンダが激化
2011年、チュニジア、エジプトにて自由を求める市民の街頭行動が両国の強権体制を覆します。シリアで同様の動きが始まった時、湾岸アラブ諸国には、シーア派がほとんどいないチュニジアやエジプトとは全く異なる画に見えたのです。アラウィー派のアサド政権を打倒して人口の8割を占めるスンニ派の政権を作れば、イランの影響力の連鎖を断ち切り、押されっぱなしだった状況を逆転できる。こうしてシリア反体制派へのテコ入れが始まり、反シーア派プロパガンダも激化の一途をたどりました。 そんな中、「イスラム国」は、イラクの旧バース党政権(スンニ派)の怨念と、アルカイダ的なイスラム過激派のイデオロギーが合体して生まれたのです。
宗派間の暴力を誘発するリスク
この問題が危険極まりないのは、異なる宗派の間で疑心暗鬼が高まり、暴力を誘発することです。宗派の違いを気にしなかった人々の間でも亀裂が走り、排除・殲滅(せんめつ)の論理が働き始めます。 2013年夏、エジプトでは反シーア派プロパガンダに煽られた群衆が、少数のシーア派住民を取り囲んでリンチ殺害し、動画を公開する事件が起こりました。これまでのエジプトでは想像もできなかった事態です。最近ではイエメンでシーア派の反乱分子がスンニ派の大統領を追放、対抗してサウジアラビアがこのシーア派集団を越境爆撃しています。この軍事行動には、パキスタンが参加を表明しました。パキスタンはスンニ派が多数を占め、サウジアラビアの経済援助を受けているのですが、実際に「参戦」すれば、パキスタン国内のシーア派は厳しい立場に置かれることになります。またイラクでも、たとえ政府軍が「イスラム国」から都市を奪還しても、「自分たちスンニ派の町が、やつらシーア派の軍隊に占領された」と見なす人々が出てきます。 もちろん、これで全世界のスンニ派とシーア派が直ちに衝突を始めるわけではありません。その危険を十分理解して自制するのが大半でしょう。しかし政府レベルで戦争や内戦に介入すれば、そこではコントロールのきかない状況が生まれます。 イラクを例にすれば、「政府軍」が「シーア派の軍」と見なされないこと、つまり政府が全国民のものだという合意が成立するよう、各勢力に働きかける必要があります。また同時に、宗派対立の危険性を十分に認識して、スンニ派とシーア派の有力な法学者たちの間で、外交レベルではとりわけサウジアラビアとイランの間で、宥和的な宗教的対話を始める必要があります。その環境づくりのために第三者が仲介すること、それこそが「積極的平和主義」ではないでしょうか。 (東京外国語大学教授・黒木英充)
■黒木英充(くろき・ひでみつ) 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授。専門は中東地域研究、東アラブ近代史。1990年代に調査のためシリアに長期滞在、2006年以降はベイルートに設置した同研究所海外研究拠点長として頻繁にレバノンに渡航。主な著書に『シリア・レバノンを知るための64章』(編著、明石書店)など