JBAから熊本ヴォルターズGMへ、日本代表を支えた七川竜寛が目指す理想像(前編)「日本代表のプライオリティは今ほど高くなかった」
今の日本のバスケ界に「自分が『関わった』っていう実感はあります」
今シーズンより熊本ヴォルターズのスポーツ事業部長兼ゼネラルマネージャーに就任した七川竜寛氏。熊本県出身の七川氏は、パナソニックトライアンズ(JBL)のマネージャーを経て、2012からの約12年間、バスケットボール男子日本代表のマネージャー、ゼネラルマネージャーを歴任。ワールドカップ2023ではチーム編成にも携わり、2024年に開催されたパリオリンピックにも帯同するなど、日本代表の躍進を支えてきた。そんな七川氏に、長年に渡る日本バスケットボール協会での活動と、これまでの日本代表、そしてこれからの日本バスケットボール界について話を聞いた。 ――松下パナソニックトライアンズ時代から日本バスケットボール協会へ入り、具体的にはどのようなことをしていましたか。 協会では「シンプルに日本代表の強化」を目指していたので、クラブで言うフロントマネジメントみたいなことをしていました。少し(フロントから)下がって外回りをしたり、あとはA代表とアンダーカテゴリーをやり始めて、少し守備範囲が広くなりました。その代わりに、あまり中に深く行かないようにはしていました。 ――将来の日本代表を強化するにあたって、リクルートなどはどのようにしていましたか。 日本代表のリクルートは全員が対象なので基本は「取るだけ」です。そこに交渉はなく、JBAの中に『日本代表には来なきゃいけない』というルールもあるので、その中での調整をしてい ました。どの競技であっても一緒だと思いますが、向こう(クラブ)の都合とこっち(代表)のスケジュールの都合を調整するのは結構大変でした。 FIBAがワールドカップの方式をWindow制に変えたことで、リーグ戦中に国際大会が行われるので、クラブのスケジュールもある中で選手を集めないといけなくなりました。その中で、コンディションもあったり、当然リーグのスケジュールもいじってもらえないので、そこの調整が今でもすごく大変だと思います。NBA選手(渡邊雄太や八村塁)は28日前からしか来れないルールもあるので、そこも大変でした。 あと、コロナの時は、国際大会では2週間隔離されるので、クラブ側から「1カ月いないのはきついです」と言われました。辞退ができないですし、そこはちょっとしんどかったですね。 ――この12年間を振り返るといかがでしょう? 自分がJBAに入って、マネージャーとして日本代表に入った時に、ちょうど河村勇輝選手や富永(啓生)選手、今ウチ(熊本)にいる田中力選手などが、U16ぐらいの世代で入ってきました。その時の選手たちがオリンピックに出ているんです。自分はアンダーカテゴリーをそっち側にシフトして、学校の先生やいろいろな調整をしていました。富永選手は東京オリンピックでは3×3代表として海外の大学から帰ってきたり。紆余曲折ある中で、彼らがオリンピックに出たというのは、JBAとして、『一気通貫』の考え方があったからです。年齢が若返り、若い世代の力をどんどん引き上げていくことが見事にハマって、ワールドカップを突破して、パリ(オリンピック)に出ることに繋がりました。 そこに、海外に出ている渡邊選手だったり八村選手が帰ってきて、ジェイコブス(晶)選手や、(山﨑)一渉選手、(菅野)ブルースが構えている。そういう世界ができたというのは、「自分がやった」という実感はないですが、「関わった」っていう実感はあります。