JBAから熊本ヴォルターズGMへ、日本代表を支えた七川竜寛が目指す理想像(前編)「日本代表のプライオリティは今ほど高くなかった」
「Bリーグは今のまま突っ走っていいと思います」
――実業団からNBLとbjリーグの合併、オリンピックの代表を経験されました。そこに大きく関わってきたことへの自負はありますか? やっている時は、目の前のことで精一杯なので「自信に繋がる」ことは正直ありませんでした。選手との調整も含めた向き合い方、クラブとの向き合い方に日々追われていた感じですね。 ただ振り返ってみると、そこまでに代表を支えた選手たちがいる。特に竹内(公輔・譲次)兄弟とか、桜井(良太)選手もそうだし、田中大貴選手。その時から残っているのは比江島(慎)選手ぐらいだけど、彼らのあの土台がなかったら、やっぱり難しかったと思います。最初の方は彼らに頼らざるを得なかった。今でこそ、譲次選手も公輔選手も自分の活動に専念できているけど、やっぱり彼らは『ゴールデンエイジ』って言われる選手たちで、あれだけ引っ張ってきたのだから、日本のバスケット界として感謝した方がいいと自分は思います。その前は佐古(賢一)さんたちなど、いろんな人が台頭していったことで現在に至る、ということがよく理解できるようになりました。 ――当時の立場を鑑み、Bリーグに対してこうあってほしいという思いはありますか。 Bリーグはこれだけの世界観で、有言実行でどんどん走っていきました。クラブのやり方や、経済的なことがBリーグとして大きくなってきて、選手の地位なども上がり、沖縄のワールドカップで結果を出せたことは、あの時の日本代表に関わった人たちがすごいと思います。やはりそこで一気に流れが変わりましたね。あそこで、オリンピックに行けていなかったとなると、現在の話も若干変わっているかと。だから「こうあってほしい」というよりも、Bリーグは今のまま突っ走っていいと思います。 経済効果が大きくなれば、日本代表もいろんなところで恩恵を受けるわけです。Bリーグがそれだけ大きくなれば、日本代表も強くなりますし、その『両輪でやる』ということが形になっているのは、素直にすごいと思います。 最初に日本代表に関わった時は、日本代表のプライオリティ(優先順位)みたいなのは当時そこまで高くなかったです。「代表に呼ばれたら行きますよ」というマインドでいてくれた選手もたくさんいましたが、全体的に日本代表のプライオリティは、今ほど高くありませんでした。でも、東京オリンピックや沖縄のワールドカップで日本代表の価値が上がってきて、今登っているところが山のてっぺんだとすると、常にてっぺんを更新している状況です。そこに渡邊雄太選手が帰ってきたことや、いろいろなところにアリーナができることで、よりBリーグが大きくなる。そして、代表戦をする時にそのアリーナを使う。これはもう完全に相乗効果です。「そういう世界になるんだ!」と思っています。 ――これからの日本代表はどうあるべきと思いますか。 ある意味「日本のスタイル」みたいなものは、いろんな方が関わって「何となくの答え」を出しつつ流れてきました。そこに、カリスマ性とマネジメント能力を持ったトム(・ホーバス)さんが、ガツンと「日本はこうだ」っていう答えを出してくれた。東京オリンピックで女子が銀メダルを取ったところから始まって、男子でも48年ぶりのオリンピック自力出場に繋がったということは、やっぱり『これだ』っていう答えはある程度出ていますよね。サイズアップなどいろんなことが騒がれてきた中、やっぱりトムさんがそういう答えを一つ導き出した。だから、今のやり方をよりブラッシュアップしていくのが正解だと思います。 グリズリーズに行った河村選手がサイズを関係なしにあれだけやれているのは、日本代表としてこれだけやった、みたいな意地や自信があるからだと思うんです。 「日本のスタイル」はある程度見えてきていますが、これはヘッドコーチが変われば若干角度が変わります。そこを日本のJBAなのか、日本全体としてどう持っていくのかが重要ですね。島田(慎二)さんが「日本代表とBリーグと両輪でやらなきゃ」と言われるように、それが現実的に目に見えてくるようになれば、日本バスケは強くなると思います。
丸山素行