山崎貴監督『ゴジラ-1.0』と映像制作会社「白組」から見る日本のVFX(視覚効果)・コンテンツ制作の現在地
こだわりすぎない「バランス感覚」
山崎監督が特殊撮影の道を進むきっかけは、中学生の時に見た『未知との遭遇』『スターウォーズ』(ともに日本公開は1978年)だった。1986年、白組に加わり、ミニチュアセット制作、CG、撮影、合成などを行う調布スタジオでミニチュア担当として働く。目指していたのは日本型「特撮」ではなく、ハリウッド型VFXだった。 「山崎さんは、スティーブン・スピルバーグ、ジョージ・ルーカスの映画をリアルタイムで見て育った世代です。若き無名の監督たちがアイデアだけでスタジオから資金を引き出し、新しい技術を創出しながら、世界中の観客が楽しめる作品を生み出した。そうしたVFX映画へのあこがれが原点にあります」(公野教授) CM制作を数多く手掛けながら、伊丹十三監督『大病人』(1993年)、『静かな生活』(95年)などでデジタル合成を担当。監督デビューしたのは2000年、少年たちのひと夏の冒険を描くSFファンタジー『ジュブナイル』だ。社内公募で提案した壮大なSF『鵺/NUE』が、資金面で実現が難しかったため、改めて、自ら予算規模を縮小して出した企画だった。昭和30年代の東京を再現した3作目『ALWAYS 三丁目の夕日』(2005年)の大ヒットで、人気監督の地位を確立した。 公野教授は、2016年、山崎氏をはじめとする白組の主要スタッフのインタビューをまとめた『白組読本』を刊行している。 「山崎さんは、伊丹作品の現場で、何度もテストピースを撮らされ、鍛えられたそうです。伊丹監督は映像に妥協しないタイプの人だった。自分も伊丹さんみたいにこだわりたかったけれど、なかなかできないと語っていました」 伊丹監督は自らが設立したプロダクションで、製作費を全額出資して映画を作り続けた。その中には、興行的には失敗した作品もあった。山崎監督の場合、現場で自分がこだわりすぎれば、製作費が上がり、ヒットしなければ映画会社に損害を与えることになる。それよりも、自分の好みの問題なのか、観客のためにこだわるべき箇所なのかのバランスを見極め、予算を減らせるところは減らしながら、最終的に想定以上の作品を見せることを目指すべきだと考えるようになったという。 「伊丹監督の影響を受けつつも、自分にとっての正解は、映画会社や白組スタッフなど、いろいろな方面に気配りしながら力を合わせ、ヒット作を生むことだと方向性を定めたのでしょう」 「東宝は、現場にさまざまな要求を出していたと思いますが、山崎さんは予算、脚本、全てリーズナブルな形で飲み込みつつ、映像表現で最善を尽くしました。非常にバランス感覚がいい監督です。柔軟で、しかも大作を撮れる数少ない監督として、映画会社にとって貴重な存在です」