「会話さえ怪しい」後遺症に苦しみ...パラ自転車・杉浦佳子選手の復帰の糧となった一人の女性
1年足らずでレースへ復帰 東京パラリンピックが目標に
パラ自転車との出合いは、息子もお世話になった自転車競技の実業団で代表を務める方からの紹介です。事故から半年ほど経った頃でした。最初は「私が出たいのは健常者のレースなのに」と思いましたが、パラ自転車のレベルの高さを見てすぐ考えを改めました。 よく「自転車競技に復帰することに怖さはなかったのか」と聞かれますが、事故の瞬間の記憶が完全に飛んでいるおかげで、怖さは感じませんでしたね。 その後もリハビリとトレーニングを続け、2017年にパラ自転車の選手として、レースに復帰することができました。 東京パラリンピック出場を意識したのは、同年に初めてワールドカップに出場したときです。そこでは1位とはだいぶ差のある3位でしたが、だからこそ「もっとやってやる」という気持ちになれたんだと思います。コーチとも相談し、まずは東京パラリンピックへの出場を目標にしようと決意しました。その年の後半からは世界選手権やワールドカップでもある程度安定して勝てるようになり、次第に自信も生まれてきましたね。 つらかったのは、コロナ禍で東京パラリンピックが1年延期になったことです。あのときは「終わった」と思いました。伸び盛りの若手たちは、1年で急激に成長します。しかし、私はその1年で、49歳から50歳になってしまう......。きっと何人もの選手が、私を追い抜いていくだろうと思ったのです。 そんな悲壮感を軽くしてくれたのが「49も50も誤差の範囲でしょ」というコーチの言葉でした。この言葉で肩の力が抜けて気持ちが前向きに。1年の間に私も記録を伸ばそう、それで負けたら、勝った選手をリスペクトだ──そんなふうに気持ちを立て直すことができたんです。 結果、1年の間に私自身も記録を伸ばし、2021年の東京パラリンピックでは「ロードタイムトライアル」と「ロードレース」の2種目で金メダルを獲得。日本人最年長の金メダリストになることができました。