「愛があっても、乗り越えられない」出産後に関係が破綻する夫婦と、そうでない夫婦の“決定的な違い”
「好きだけじゃ結婚はやっていけないよ」はいつの時代も同じ?
<愛があっても、乗り越えられないことがある> 結婚した先人たちが口を揃えるように言う言葉があります。 それは、「好きだけじゃ結婚はやっていけないよ」というもの。関西人がよく口にする「みんな言うてるで」と言わんばかりに、先人たちはそう言います。 【漫画で読む】夫婦のすれ違いの原因は「言葉の解釈の違い」にあり!? 相手を理解するのに必要なこと ほかにも、「結婚は修行」「結婚は忍耐が必要」といった言葉も昔からよく言われてますよね。元号が令和になった今でもこれらの言葉はよく聞きますが、果たして本当にそうなのでしょうか? 結論からお話させていただきますと、たしかに好きだけじゃ結婚はやっていけません。しかし、好きだからこそ乗り越えられることがあるのは事実です。 むしろ、「好きじゃないと許せないことがある」と言った方がいいかもしれないです。相思相愛の状態で結婚すれば、自動的に夫婦生活が上手くいくと思っている人がものすごく多いですが、そんなわけはありません。 その証拠に、結婚前は超ラブラブカップルだったのに、結婚後に破綻した男女がたくさんいます。 なぜこのような現象が起きるのかと言うと、パートナーのどちらかが「好きじゃないと許せないこと」を何度も超えてきたからなんです。つまり、「好きだけどさすがに目に余りすぎる」ということを、何度も繰り返されたから気持ちが冷めたんですね。
義母との関係性で苦しむことも
<「好きだけどもう耐えられない」ことが起きることもある> どういった行為が目に余りすぎるのかと言うと、1つ目は「義実家との距離の近さで起こる問題」。これは、パートナーの両親がやたらとこちらの家庭に絡んでくることで起こる問題です。 よくあるのが、義母がしょっちゅう連絡をしてくる。勝手に家に入ってくる。事あるごとに口を挟まれる。などなど。日常的にこのような行いが続くと嫁姑問題に発展しやすくなります。 ただ、嫁姑問題と言っても姑が妻である女性をネチネチいびるといった、ステレオタイプの嫁姑問題ではないことの方が現代では多いようです。むしろ義母である女性が、なんの悪気もなく介入してくるというケースの方がよくあるそうなんですよ。 でも、いくら悪気がないとは言え、奥さん側からすると気を使うただの他人じゃないですか。義母が「気を使わなくていいからね」「本当のお母さんだと思っていいからね」と言ったところで、「いやいや無理に決まってるやろ」という話になりますからね。 良くしてくれるのはありがたいけど、それ以上に煩わしさも感じる。これがネチネチといびるタイプの嫁姑問題であれば、夫である男性に強く「やめさせて」と抗議することもできる。 でもそうじゃないから、強く言えない。 言ったところで、「母さんの好意を無駄にするのか」というように反論されたり、「うちの親はあんなんだから」と聞き入れてもらえなかったり。 すると、我慢せざるを得なくなっていくわけです。 現代では、義母との近すぎる距離で配偶者が煩わしさを感じているのであれば、間違いなく嫁姑問題に発展していると言っても過言ではないでしょう。 なぜこのような問題に発展するのかと言うと、夫である男性と義母である女性が、親離れ子離れできてないからです。 成人してから自分の生活や人生に口を挟ませているのを良しとしている時点で、パートナーに迷惑がかかるんですよ。いくら結婚して家族になったからとは言え、どこまでいっても義母という存在は、気を使う赤の他人という事実を忘れてはいけないのです。 嫁姑が「血はつながってないけど本当の親子」みたいになることは現実ではほぼありません。実際、義実家の介入を夫が防いでくれなくて離婚に発展したというケースは枚挙にいとまがないです。 その背景には、「好きだけどもう耐えられない」という多大なストレスがかかっていたことは間違いないと言えるでしょう。 これが、ネチネチといびるタイプの嫁姑問題であれば、なおさらだと言えます。