生誕100年を迎えた相田みつをさんの原点、故郷の栃木・足利で作品の思いに触れる 味・旅・遊
今も幅広いファンをもつ書家で詩人、相田みつをさんの故郷は栃木県足利市。この地で生まれ育ち、まちをこよなく愛し生涯を閉じた。今年は生誕100年。その足跡に触れようと、人々の心に染み入る数々の作品を発表してきた相田さんの原点である足利に向かった。 【写真】香雲堂で今も使われている相田みつをさんがデザインした古印最中などの包装紙 かつては繊維産業で栄えた足利市。古い町並みが残る市中心部が相田さんの故郷。現存する生家を訪ねてみると、目の前には名刹(めいさつ)、鑁阿寺(ばんなじ)、そして近くには日本最古の学校として知られる足利学校も…。鑁阿寺から南にのび足利学校とを結ぶ石畳の大日大門通りを歩いていて、相田さんの言葉が浮かんだ。「ここが私の出発点…」。観光客が行き交う通りから相田さんの息吹が静かに感じられた。 ■最初に認め購入 通り沿いにある「めん割烹(かっほう)なか川」は相田さんゆかりの店として知られている。昭和20年代、まだ無名だった相田さんの作品を最初に認め購入したのが初代の女将(おかみ)、故中川光子さん。当時は旅館を営んでいた。作品に込めた思いを熱く語る相田さんを女将が気に入り「いいのができたらみんなもっておいで」と優しく声をかけた。以来、相田さんは作品ができると中川家に持ち込み、旅館の看板や部屋札なども依頼されて書くようになる。 「いつも、にこにこ。ざっくばらんで飾らない。前向きな人でした」。4代目店主の中川知彦さん(51)は子供の頃から近くで見てきた相田さんの印象を語った。「相田先生が中川家に出入りして約50年。父は先生に家庭教師をしてもらったそうです。一緒にご飯を食べたり、先生は家族みたいな人でした」 中川家には書のほか、相田さんが書いた旅館時代の看板やろうけつ染めののれんなど初期の貴重な作品が残っている。 かつての旅館の各部屋に飾られていた作品はめん割烹になってからも店内に展示。書のほか、旅館時代の看板や部屋札なども目にすることができる。特に「人間だもの」は相田さんがこの言葉を初めて書にした作品。数少ない初期の代表作で相田さんの原点ともいえる。 同店では在来種のそば粉を使い、江戸時代の力強い味を再現した手打ちそばや相田さんが好んだ魚の甘露煮などを提供。そばとよくあう日本酒もラインアップされ、作品を鑑賞しながら味わえる。