令和ロマン・髙比良くるま「M-1再挑戦理由の半分は松本さんの不在」。漫才を“過剰考察”した著書は「巨大な反面教師」と語る真意《インタビュー》
くるま:「若手なのに」とか言われるんですけど、逆にこの世代だからこそ抵抗なく形にできたと思います。僕が生まれたのが1994年で、M-1がはじまったのが2001年。僕は当時観てませんでしたけど、小学生くらいから強制的にM-1という授業を観せられている世代なんですよ。 ――授業? くるま:M-1ではいろんな漫才が出てきて点数が付けられて、審査員に「もっと展開があれば……」とか言われる。つまり、漫才を学問的に見せられてるわけです。大学のお笑いサークルで漫才をはじめたときも、アマチュアですけど自然とそういう視点になってました。仲間のネタを講評するときはM-1で見ていたような言葉を使ってましたし、それが自然だったんですよね。だから、僕ら世代より下が漫才を言語化するのは別に普通のこと。上の人からしたら「ほんとになにしてんの?」みたいな感じでしょうけどね。 それこそ、この前礼二さん(中川家)や大吉先生(博多華丸大吉)とライブが一緒になったとき「よくやるな」みたいなことを言われました(笑)。僕らよりも上の世代は、ルールがない中でやりたい漫才をやってきた。だから漫才を言語化するって違和感があるし、皆さん「審査員やりたくないんだよ」って言ってます。そういう世代はそういう世代だからこその良さがある。で、僕の世代は言語化に抵抗がない。そういう感じです。 ――くるまさんが語ることの意味は、どこにあると思いますか? くるま:表現がムズイんですけど、僕が過剰に考察することで一回“ナシ”にしたかったんですよ。本にも書いた通り、ここ数年でお笑いが「考えられ過ぎる」ようになりました。M-1が競技化されていろんな考察が行われるようになった結果、去年の決勝で“爆ぜた”んです。考察をやり過ぎて風船が割れたのがわかったんで、「これはいかん」と今までの流れをナシにしたいと思ったんですよ。 芸人はみんな「漫才をもっとフラットな状態で見てほしい」と思ってるけど、見ている側は勝手に考えちゃう。井口さん(ウエストランド)がいくら「考えずに見ろよ」とか「これだからお笑いファンは」とか文句を言っても、もう無理なんだよ。だから、俺が「もっと考えてるヤツがいる」ってことを見せて冷めさす。「え、私たちの考察の先にあるのってこれ!?」という最悪の状態を見せて、巨大な反面教師になりたい。本を読んで立ち止まって、「こんなふうに考えるようになったら最悪なんだけど」って思ってほしくて……っていうのもあるし、SNSの影響力がデカくなって、セミプロみたいな人によっていろんな記事が出るわけじゃないですか。例えば、お笑いライターが「令和ロマンが連続でM-1に出る意味を考察」みたいな記事を書くわけですよ。そんなふうに不当な意味づけをされてネットニュースになると、みんながそれを信じちゃう。それがもったいないから、正式に声明を出したいっていう側面もあります。お客さんがなにを言うのも自由だけど、こっちから言わないといけないフェーズになっちゃったんですよね。そうしないと、サイレントに割を食うんで。 ――サイレントに割を食うとは? くるま:真実は違ったとしても「あの芸人はアホなフリしてるけど、本当は考えてやってるんだよ」とか「実はこうなんだよ」みたいなことを、みんながSNSで言う。それやめてよ! と思うけど止められないんで、俺が「いや、それはこうこうこうで……」と早口で言うことで「あぁ、そうなんだ」と思わせたい。俺ほどは考えたくないから「素直に見よう」と思わせたいというか、テイのいい140字をやめさせたいという想いがありますね。 ――くるまさんの言葉で、SNSでテイのいい発信をしている人たちを圧倒する? くるま:そうですね。俺がそいつら全員に抱き着いて、爆発して死のうって感じですね。たぶん上手くいくと思うんですよ。この本を読んだら、冷めるでしょ。ギリ間に合うと思います、M-1決勝まで1カ月あるから。
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