ラーメン文化を築いた日本の職人たちの情熱──中国伝来の麺料理が世界のグルメに育つまで
山川 大介
日本の国民食にして海外での人気も高いラーメンは、実は中国から伝来して100年余りに過ぎない新しい食文化だ。新シリーズのプロローグでは、進化の過程で多彩なバリエーションを生み、ついにはミシュランに認められるグルメとなったラーメンの定義と歴史を解説する。
港町を中心に広まった「中華そば」
すし、天ぷら、とんかつ......世界でも人気の多彩な食文化が根付いている日本において、ラーメンほど多様な広がりを見せているジャンルはない。だが、その歴史は意外にも浅く、伝来以来わずか100年余りに過ぎない。にもかかわらず、すでに世界に通用する日本発の食文化として認知されている。まずは、日常的過ぎて日本人ですら意識していない、ラーメンの定義と歴史について考察したい。 ラーメンの起源は諸説あるものの、一般的には明治時代(1868~1912年)末期から大正時代(1912~26年)にかけて、中国の福建省や広東省からの移民によって日本に持ち込まれた小麦粉を使った麺料理が起源と考えられている。 日本でラーメンとして受け入れられてからは、現在の福岡市博多区や横浜市など、古くから港町として栄えた地域を中心に広がっていく。いわゆる「中華そば」であり、主に中華料理店で提供された。見た目は非常にシンプルで、しょうゆベースのあっさりとした味わいだったという。
第二次世界大戦後、荒廃した日本の各地で、公的には禁止された流通経路を経た物資を扱う闇市が形成される。そこで誕生したのが移動式屋台のラーメン店だ。 店主はチャルメラと呼ばれる客寄せの笛を吹きながら屋台を引く。軽快なメロディに誘われて、人々はラーメンをすすりに夜な夜な集まってくる。その様子から屋台のラーメンは「夜泣きそば」と呼ばれるようになった。人々が日々の食事にも事欠く中、安い材料でおいしく、栄養価の高いラーメンは、物資乏しい時代にうってつけの食べ物となる。
やがて屋台は日本全国に広がり、ご当地ラーメンとして各地で独自の発展を遂げる。例えば、九州なら白濁した豚骨スープを誰もが想像するが、当初はクリアなスープだった。1947年に福岡県久留米市で創業した屋台『三九(さんきゅう)』で、煮込み過ぎて失敗した白い豚骨スープが偶然生まれる。これが大流行し、白く乳化したスープは九州豚骨の定番となった。 また、福岡市長浜地区の市場にあった屋台では、労働者に短時間でラーメンを提供するため、ゆで時間の短い細麺が人気を博した。細麺は伸びやすいため、ゆで時間を短縮して硬めの麺を提供する「バリカタ」が生まれたり、麺の量を少量にしてお替わりが出来る「替え玉」が根付くなど、九州豚骨ならではのご当地スタイルが確立されていく。